喜寿のお寺巡り


      湖西と湖東

 719日(木)

折畳車椅子を車に積み込み8時半スタートして東名横浜に入る。御殿場から新東名へ、初めてだが快適である。従来の東名、巾3.5mの2車線だが、新東名は巾3.75mの3車線、おまけに路肩も広い。ただし政治の歪みで2車線やら3車線が混在している。トンネルと橋が3割とは驚いた。トンネルは照明が優れもの、後期高齢者は夜間視力と動体視力が落ちるが先行車が見やすいのはありがたい。カーブも少なく直線距離が多い。120kmで走っているのに、隣をレクサス、ベンツが追い越してゆく、たぶん150kmくらい、そのうち捕まり免停だぞ!! 最高速度が東名と同じ100kmでは折角の新高速道路が泣くというもの。大型トラックと並走しても危険は感じない、最高速度は140kmでもよい、せめて120kmにしてほしい。我が愛車は2リッターの5ナンバー、エンジン音が喧しい、3リッターの3ナンバー車なら静かだろう。

 伊勢湾岸自動車道は名古屋港、木曽川、揖斐川をまたいで橋脚で造られている。それはよいが乗用車では景色が楽しめないのが辛い。もう少し低いバリアーにしたら眺められるのに。

 四日市から東名阪、亀山から新名神、交通量は少なく快適である。草津で名神に合流する。カーブは増える、車も大型トラックが多い、ナビが2時間も運転したから休めと忠告してくれるがサービスエリア、パーキングエリアはなぜか混雑していた。京都東で降りて西大津バイパスを走り堅田に着いたのは2時であった、距離計は450kmを示していた。

 中世の琵琶湖で商工業者に念仏を教え、蓮如の右腕になった法従の本福寺に行く。延暦寺に破却された本願寺が、ここで親鸞御影をもとに蓮如が報恩講を務めたところ。琵琶湖の通行税を徴収していたとはいえ、堅田地区が延暦寺に焼かれたとき、多額の銭を負担した経済力には驚く。「堅田馬場道場」として念仏講が盛んであったらしいが残念ながら当時の面影はない。

 光徳寺は「堅田源兵衛父子殉教の像」で有名である。蓮如は越前に立つとき親鸞御影を三井寺に預けた。やがて山科本願寺を建て、親鸞御影を引き取りに行くと、生首二つと引き換えと三井寺は難題を吹きかける。それに源兵衛父子が応えたもの。禁断の殺生を坊主が要求したとは信じられない。延暦寺がまさか三井寺には攻め込むまいと親鸞御影の保管を依頼したが、礼銭が不足したのか陰湿な苛めなのか分からない。

 伊豆神社は敷地が広い。京都下賀茂神社のみくりやにしても堅田全域の鎮守府で、お賽銭には不自由しなかったのであろう。

 祥瑞寺は「一休和尚修養地」で有名な臨済宗の寺。京都大徳寺の末寺にしても堅田で禅宗を武士階級に広めた、大きな立派な寺である。それに比較すると真宗の寺は貧相である。

 浮御堂も臨済宗の寺である、湖畔に浮かぶ寺は一幅の絵になる。源信僧都が延暦寺横川から琵琶湖を眺めて、阿弥陀如来像を刻み建立したとのこと。念仏の元締めが発願したのなら、浄土宗とか真宗が継いでも良いと思うが禅宗とは、世の中は昔も今も金次第。

 暑くてくたぶれてきた、大津の三井寺、石山寺はパスして、琵琶湖大橋を渡り守山の金森御坊蓮生寺に行った。その昔は湖東の寺内町で蓮如が移り住んだところ、金森一向一揆の拠点も今は寂れて当時の面影はない。蓮生寺は復元されて新しかった。

 今夜の宿泊は国民休暇村、湖東にあり前に沖島が浮かんでいる。ネットで依頼した、メロンの御土産付きで安いと思ったら、風呂が時間制である。女学生の研修とかち合った、それは致し方ないが、私立かな、最近の学生にしては礼儀正しいのに感心した。

 
       
     堅田 本福寺     堅田 祥瑞寺     祥瑞寺の庭園     堅田浮御堂から見る琵琶湖大橋
       
    堅田 満月寺     浮御堂     堅田 光徳寺     源兵衛父子殉教の碑
       
    堅田 伊豆神社     守山 金森御坊     守山 蓮生寺 土塁     蓮生寺

                                                                                                                                                                                    よろしければどうぞ     二日目 湖東と吉崎御坊