未曽有の地震・津波・原発事故に想う


  目次  1 災害体験  2 初動体制  3 バックアップ  4 水素爆発・海水注入
      5 原子力安全・保安院
  6 放射性物質被曝  7 公益企業の体質
      8 体質改善の取組み  9 官と民  10 ノーモアフクシマ


1 災害体験

 手が震えている、パソコンのキーが打てない。これはてっきり中気ではないか、救急車を呼ぼうかと思ったら、ぐらぐらときて地震と気付いた。ふらふらしながら居間にたどりついたら女房は食卓の下に頭を入れていた。マンション六階に住んで二〇年余こんなに酷い地震は初めてであった。テレビをつける、刻一刻と惨状が報道される、驚いた、くぎ付けになる。同じような報道が繰返されている、寝てからもラジオを聞いていた。

 災害には人一倍神経質になった。それは国民学校(小学校)四年の一二月七日、東南海地震があった。塀が倒れ、家が傾くことはあったが、周りには家屋倒壊、死者、負傷者はいなかった。しかし一ヶ月後の一月一三日、午前三時半三河湾直下型地震が襲ってきた。     

灯火管制のもと電灯は黒い頭巾で覆われていたが、枕元に衣類は置いてあった、戦時中の躾である。雨戸を開けて飛び出し、衣服を身につけ東の方を見たら、三ヶ根山上と思える空に青白い閃光が何本も出ては消えている。余震はひっきりなしにやってくる、生きた心地はしなかった。南側の家は倒れている、皆が寄っている。おばさんが「助けてッ」と言っている、次第に声が聞こえなくなった。手をあわせ「南無阿弥陀仏」と皆はか細い声をだす。南海地震で家が傾き、おじさんは出征している、つっかい棒が何本も掛けてあった家、倒壊し鴨居が叔母さんの首を直撃したらしい。

 当時住んでいた三河安城の小川村はそれほどの被害ではなかったが、隣の藤井村は百戸余の家が殆ど倒壊した。今も震災の碑が建っている。戦時中で報道されなかったが三河地震の死者は一千二百人、行方不明は一千百人、負傷者は三千九百人とも後から判明した。

 余震が何回もある、一日に十回以上もあった。防空壕で寝るのは窮屈であるから、藁小屋を建ててそこで約一ヶ月寝た。雪が積もり、溶けてぽつり、ぽつりと顔を濡らすこともあった。それは我慢できたが子供心に一番堪えたのは、亡くなった人の埋葬である。後に井伏鱒二「黒い雨」で原爆の亡骸を唯焼くのではと、素人がお寺に行ってお経を覚えてきて河原で読経したシーンがあったが、それに近いことは藤井の村にもあった。人の亡骸を焼くのは悲しい、また物凄く臭いが、不思議とお経を唱えていると、悲しみも臭さも感じなくなることを今でも思い出す。

 高校三年生の時、九月二五日に三河に十三号台風が襲ってきた。高潮と重なり一色の堤防が決壊し、同級生の家は被害にあった。地震は家が倒壊しても、本とかノートは取り出せるが、家が流され床上浸水したときは哀れである。一面の泥海を見たときはショックであった。

 就職して翌年の九月二六日、伊勢湾台風が襲ってきた。新築の鉄筋四階建て独身寮の三階にいたが、ガラス戸がしない、雨が部屋に染みこんできたのには驚いた。翌日は停電、断水である。一番困ったのは便所のうんちが流せないことである。鼻をつまんで人のうんちの上にする、生理的現象はいかんともしがたい。給水車がきた、一人風呂桶一杯の水、それで歯を磨き、顔を洗う、手拭いで体をふきたいがそれは我慢した。

 会社では被災した先輩の家の片づけとか、浸水した会社の復旧の手伝いに駆り出された。三河はまだ良い方、名古屋南部に出かけた連中から惨状を聞いて新聞、テレビが報道するよりも壮絶な状況であることを知った。後から親戚の家とか同期の連中の被災を知り、暗澹たる気持ちになった。

 そういう原体験があるから、世帯をもちマイホームを建てるときには、地震、台風、水害に強い木造一家建ちにした。南斜面の土地、風が通るように窓を大きく、柱を多くして土壁を設けた。台風で瓦は飛ぶかもしれないが、災害には強い家を建てた。

 今住むマンションも購入するときは、電気、水などインフラに強いところを探した。都心が勤務地、東の方が安いが江戸川、隅田川、荒川の三大河川の下流、特に埋め立て地は避けた。西の方がよいが高い、多摩川を越えて横浜の帷子川沿いにした。年中決壊している川だがバイパスの川を地下に造るから、今後川があふれ浸水はあまり起きないでしょうと不動産屋は言った。港から6.5km、標高17.3m、緊急避難場所の小学校は標高70mの小高い丘の上である。そのときは津波のことまでは考えなかった。川を津波は這い上がるというが建物が林立している、道路は浸水してもマンションまではこないでしょう。下水はあふれ出るかもしれない。今回の地震の震度は3であった、しかし六階はかなり揺れた。

 水は水道管直結にしたら、電気が止まっても断水はなくなる、マンションの総会ではいつも話題になっている。六階の北と南の窓を夏は全開、クーラーは使わない。契約電灯は30Wである、近頃では珍しいと言われた。夫婦ともクーラーは嫌いである。夏は暑い、汗が出る、食欲がなくなる、それは自然の摂理。ダイエットとかメタボと言わずとも夏に痩せればそれが自然に適っている。後期高齢者で体力は落ちている、流石に熱帯夜が続くのは堪える、クーラーを夏に設置しようと思ったが計画停電の騒ぎ、我慢して節電に協力しよう。それは環境が恵まれていると言われそうだが。

2 初動体制

 津波の災禍に眼を奪われていたが、東京の実情も報道された。現役の頃九段まで通勤していたから、これは大変だと直感した。東京都心の昼間人口は数百万、朝のラッシュは山手線が三分刻み、私鉄も負けじと大量のサラリーマンを郊外から送り込んでくる。 JR、地下鉄、私鉄が止まれば帰宅難民はどうするのかな。大人はよいが父兄の送迎付きの小学生はどうするのだろう。交通機関は動いても帰りの電車、バス、車は渋滞するであろう。歩いて帰る人の列が続く、余分なことだがトイレは近くにあるのかな。たびたび新宿駅南の様子が報道される。スーパー、コンビニには飲み物、食べ物は何もない、どうするのであろう。公共の施設が開放され、そこに泊る人がいる。水、食料が届けられると言うが、皆に行き渡るのかな。幸いなことに翌日が土曜日である、朝に交通機関が動けば、帰宅できるのかな。高齢者はどうするのかな、九段から横浜の自宅まで約30km、現役の時ならどうするかな。車は渋滞で動かないであろう、足には自信がある、七時間歩くと決断したかな。

 改めて日本人を見直した。翌日中には大半の人が帰宅した。大きなパニックも起きなかった、ましてや暴動もなかった。日頃防災訓練を馬鹿にしていた人も真面目に公園など避難施設に駆けつけたとか、携帯で連絡をとったとか、フェイスブックとやらで瞬時に同僚の安否が分かったとか、聞きしに勝る熟年、若い人の行動力には脱帽である。トイレも水もコンビニが役だったと聞いた。都心にいる友人でゴルフとか所用で郊外にいた人は、電車、バスを乗り継いで帰宅した、皆午前様である。車の人も下りだけでなく、上りも渋滞でこれも午前様、後期高齢者でもよく頑張ったもの。

 会社とか学校で早々に帰宅命令を出したところがある。定時まで勤めなくても早く決断すれば、社員、生徒は帰宅の選択肢が広がる。リーダーは有事の場合真価が分かるというのは、戦争や政治の世界でなくても本当であろう。これを機会に有事のリーダーのあり方が研鑽され、身につけば、危機管理に強い世界に冠たる日本になるのは夢ではない。

 津波の惨禍の報道に目を奪われていたが、原子力緊急事態宣言発令で緊急避難が福島原発の半径2kmの住民に出された。安全のために出されたのかとよく分からなかったが、30分もたたないのに総理大臣指示で3kmに拡大、屋内退避が10kmと聞いて事態がただならぬことであることは分かった。テレビの前でチャネルを切り替えるが、原発の知識もない、何が起こっているのかさっぱり分からなかった。

 原発は自動停止して問題はないと思ったが、津波により電源設備がダウン、非常用ジーゼル発電機も故障と聞いて驚いた。原発は非常事態のとき、止める、冷やすが大原則と解説があった。止めることは出来たが、その冷やすことが出来ないとは、心配はつきないがくたびれてきた、寝ることにした。

  翌日には水素爆発が起き放射能漏れが起こった。半径20km圏内避難命令が出る。テレビに関係者がたくさん出てきて説明はするが、責任者、当事者は誰か、さっぱり分からない。総理は知っているが、保安院とは何か、役所らしいけど何をやる組織なのか分からない。それよりも当事者の関東電力の社長、会長は一度も出てこない。原発で放射漏れが起こり避難命令も出ているのに、信じられない。

 後日分かった。社長は関西出張中、地震、津波を知り急遽帰社しようとしたが新幹線、飛行機は停まっている。近鉄で名古屋まで出てヘリコプターを手配したが、夜間飛行用の機器がないヘリである。小牧空港の自衛隊機に搭乗することを東電の本店関係者が経済産業省の原子力安全・保安院を通じて頼み込んだ。防衛省のスタッフは事態を深刻に受け止めた。小牧の自衛隊輸送機は社長をのせて飛び立った。スタッフが防衛相に報告したら、「まかり成らぬ,今から引き返せ」と怒られた。自衛隊機は座間に向かっていたのに小牧に引き返した。「民間企業の社長を自衛隊機に乗せるとは何事か」ということだがこれは平時の常識的判断である。リーダーには、有事には有事の決断力がいる。折角お役所同士の有事の連係プレイが出来ているのに、「民社党政治主導」を標榜する大臣の指示で連係プレイが駄目になった。組織は指揮官であるリーダーの差配で動く、特に有事はリーダーの決断力が重要であることは論を俟たない。大会社、しかも原発の会社、一朝有事の最中である、お役所の判断は正しい。それを歪めた大臣の政治主導、これは人災である。

 緊急事態発生である、社長がいなかったら、会長がいるのではないか。ところが会長は中国北京にいた。マスコミのOB連中二十余名を引き連れて七日間の中国ツアーである。成田空港閉鎖で当日には帰国できなかった。

 社長、会長がいなければ有事の指揮官は誰か。副社長がいるのではないか。しかしどの副社長が指揮官を委譲されているのか分からない。社長、会長が所用で留守にしている、有事の指揮官を決めていないとしたら、これは人災である。原子力担当副社長はヘリで現場に飛び立っている。指揮官不在の本店は右往左往、何が何やらさっぱり分からない。やがて計画停電が発表された。懐中電灯を探した、しかし電池がない、単一はどの店にもなかった。旅行、観劇用のミニスポットライトを探し出した。しかしマンションの停電は一度もなかった。拙速の計画停電、不公平感はあるが、緊急事態の最中東電スタッフは徹夜で案を練り上げ実行に移す。文句たらたらにしても東電管内の企業、住民はよくぞ耐えた、日本人を見直した。

 総理自ら自衛隊ヘリで原子力安全委員長と原発現場を視察とは驚いた。総指揮官が何のために行くのか。惨状は空から衛星放送が撮影したものを見ればわかる、現場は混乱の極地にある、そこへ行けば混乱に輪を掛ける、迷惑だということが分からなかったのか不思議である。そもそもヘリは安全な乗り物ではない、飛行機に比べれば信頼性は一桁も二桁も落ちる。その昔ヘリを会社で使えないかと話があったとき、YS11の設計に携わったK先生に聞いたことがある。「緊急時に使う乗り物、VIPには薦められない」とのことだった。災害時、遭難時とかドクターヘリは有用である。戦争とかビンラディン住居襲撃などにも使われる。しかしテロそのたの攻撃にはヘリは弱い、狙われたらどうするのか、副総理にすぐにバトンをタッチできるのか。その昔日露戦争の時には艦橋で被弾を覚悟の上東郷平八郎は指揮を執り戦意は高揚した。しかし時代は違う、米国第7艦隊の指揮官は一番小さい戦艦にのり、時々刻々とかわる状況を、モニター、メール、電話などの情報装備でスタッフに支えられ即断即決している。副指揮官は別の艦船で情報を共有している、一旦緩急ある場合も指揮は継続できる。戦争であろうと、政治であろうと、企業であろうと指揮官は「常在戦場」の心構えと不撓不屈の意思が肝要である。ジタバタ、オタオタするのは部下の戦意、モラールが喪失することは論を俟たない。

 今年で50周年のホワイトハウスの作戦司令室(シチュエーションルーム)はケネディ大統領が核・テロに耐えられるような所に設けた。米ロ冷戦で核のボタンを押すときは閣僚スタッフが集まり決断する。歴代の大統領は国の安全保障の難しい決断である湾岸戦争、ベトナム戦争などはこの作戦司令室で指揮を執った。ビンラディン急襲作戦もここで行われた。福島原発事故は即刻報告され、事態の状況が分からず作戦司令室は苛立つ。地震発生後の10時間後には大統領は菅総理に電話している。地震、津波、原発のトリレンマの見舞いと援助の申し出である。米国の差配は受けない、総理は自主独立の気構えを伝えたと言われる。東京には米国大使館ほか公館もある、横須賀、座間には基地がある、米国人の被曝が心配だ。80km以内に住む米国人に避難勧告を米国駐日大使は出した。

 後日米国が日本に提出した資料を見て驚いた。水素爆発が起こった直後、チェルノイブリ並の放射能汚染を予測して、@放射能の管理及び除染で11項目、A原発の安全化で6項目、B人道、後方支援で3項目、C科学技術に関する支援で3項目などの米国支援の申し出である。日本は病院船、軍用車両・軍用機、揚陸艦、工兵隊、放射線管理の技術者派遣などは断っている。それにしてもメルトダウンしていないとか、ヘリで放水すれば良いとか日本は安易に診ているのに、米国は最大限の危機を予測している、彼我の危機管理意識の差には驚くばかりである。 

 総理が「今ヘリが放水した」とオバマ大統領に報告しているとき、米国ではその効果は認めず最悪の事態に備えて「米国人の強制退避」を考えていたとも言われる。日本の本気度を示すためのデモかもと言われては、テレビに釘付けの日本人は唖然とするしかない。ましてやデモと言われては放水した自衛隊の士気はどうなるのかな。

「ベント」なる耳慣れない言葉が連発される。総理が「なぜベントを早くやらないか」と声を荒げる。「注水を急げ、言うことを聞かないと処分する」と現場で大臣が叱咤する。

 東電の原発当事者の顔が見えない。ベント、注水そんなことは原発当事者なら知っているはずである。何故出来なかったのか、副社長は現場にいたはず。スリーマイル島原発事故の時は、ベントは現場責任者がトップにお伺いを立てなくても実施した。放射能は漏れたが爆発などの大災害は未然に防いだ。マニュアルがそうなっていたのか、権限が委譲されていたのか分からない。現場責任者の行動は追認されたとも聞く。

大会社では組織はトップの采配で動く、社長、会長が不在で緊急事態が起こり、初動体制で躓いた。暗闇、通信途絶のなか、指揮官の了承がなく徒に時が過ぎた? 結果論だがバッテリーが効いている六時間以内に若干の放射能漏れを恐れずベントしていれば水素爆発は起こらなかったとも言われる。放射能漏れを起こすベントは現場では決断できなかった? 止めた人がいたとしたら、これは人災、万死に値する。


3 バックアップ

 地震で原子炉は自動停止したが、三十分後の津波で非常用ジーゼル発電機の電源が動かなくなったと聞いて信じられなかった。電力会社でなくても、電源が切れたら非常用発電機に切り替えるのは常識である。想定外の津波が襲ってきたから、外部電源がだめになった、とは電力しかも原発のプロの言うことではない。危機管理意識に欠けているのではなかろうか。

 東電30年史によれば、福島第一原子力の建設は標高35米の海岸段丘上の旧陸軍航空隊基地の跡である。地表下30米に第三紀層があり地盤は強固、冷却水も豊富で気象条件もよい原発の立地には適地であると書いてある。外海に2.5kmの防波堤を築いて港湾をつくる、3千トン級の船舶が横付けできる、冷却水の取水と重量物の荷揚げに備えた先見性と決断のたまものらしい。それはよいとしても、なぜ海岸に面した段丘の低いところに原発を建設したのであろうか。北側の後背地に建設すれば良かった、津波のことは建設当初から念頭になかったのが悔やまれる。しかし東電の今は削除されたホーム頁には麗々しく書いてあった。

「原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分に調査すると共に、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認しています。また発電所の高さに余裕をもたせるなどの様々な安全対策を講じています」

敷地の有効利用もあったかもしれないが、段丘を削り低地に原発のロケーションを設定している、建設当初は15mの貞観津波までは調べなかった?

標高35mの丘に建設できなかったにしても、より低地でしかもバックアップの外部電源を海べりに設けたとは信じられない。原発と同じ建物、また地下などにジーゼル発電機を置きバックアップするのが普通と思うが、電源が喪失してバックアップを想定するのは当初から念頭になかったかもしれない。オイルショックの前、時代は高度成長で安全に配慮することは官民あまりなかった。

後で分かったことは、一号機はGEに設計、製作、据え付けを依頼した。米国では海岸でも津波の恐れはないらしい。外部電源は海よりの所に置いたみたい。2号機以降は国産化している、どうして1号機と同じように外部電源にしたのか? 当時の日本の重電機メーカーの日立、東芝は危機管理意識に乏しかった、GEに追いつけ、追い越せで必死であったのかもしれない。

余分なことだが、GEの1号機は建設費391億、国産化はよいが出力が大きくなっているものの2号機562億、3号機624億、4号機803億、5号機905億、6号機1754億と急増している。それが福島第2原発では一基3000億、柏崎・刈羽原発では一基4000億に跳ね上がっている。当初のGE1号機の10倍である、建設費に金をかけても安全・安心のためなら納得も行くが、原発用地折衝、政治資金の重電メーカー立て替え?などと噂されると建設費用の明細書を見てみたいものである。

半世紀前電算機の仕事をしていた。電算機センターを半年で建設して、工場のオンラインリアルタイムのシステムの引越しをしたことがある。米国では停電がよくある、周波数、電圧も不安定で電算機器には定電圧、定周波装置が必要であった。しかし日本の工場の電算機ではバックアップの非常用電源までは設置できなかった。電力の品質は安定していた。しかし電算センター建設に当たり地下にジーゼル発電機を設置した。それは都心でテロがあり、危機意識が官民に出てきたこともある。オンラインが止まり、工場が止まる、停電は避けたい。しかしトップは電算センターが停電で稼働しない、工場が止まる、非常用電源を設置するのは当たり前、テロでセンターが動かないことまで想定していた。ロケーションを工場のなか、消防施設の近くに決めた。爆破されたら社員の給料計算はできるのかとまで問いただされた見識には頭が下がった。有事に備えてバックアップを考える、危機管理を学んだ。しかし40回線の通信網のバックアップは難しかった、金もかかる。電電公社に聞いたら回線損傷のばあい、二時間以内に修復できますとの答えであった。オンライン回線は二重にしなかった。後日道路工事でケーブルが切断された、また架線の炎上でオンラインは止まり、工場のラインは止まった。何れのケースも電電公社は二時間以内に回線を修復してくれた、その技術魂には感心した覚えがある。

安全、安心のバックアップは理屈では分かるが、担当者レベルでは費用もかさむ、中々難しい。トップの危機意識、危機管理がなければ進まないのは洋の東西を問わない。

原子力大国フランスのアレバCEOの今回の原発事故についてのコメントに我が眼を疑った。

「原子炉の設計にあたり、非常用ジーゼル発電機は四機ある。非常用電源は二系統ある。それぞれ違う建屋に設置している、耐震設計、耐水性も備えている。原発の水素爆発を技術的に避ける解決策も考えてある。福島第一原発は対応が遅すぎた。チェルノイブリと福島は違う。福島は地震と共に原子炉は止まった。チェルノイブリは制御棒が下がらず、機能せず核分裂が連続して起こった」

アレバにはバックアップ、危機管理には万全の対策があった。地震国、津波の危険があるのにバックアップ、危機管理意識が官、民共にかけていた、レ・ミゼラブル(噫無情)。

4 水素爆発、海水注入

翌日一二日の朝からTVに釘付けになっても、何が起こっているのか正直分からなかった。原発の知識がないからでもあるが、専門用語がおおく理解できない。報道する人も、慌ただしさのなか丁寧に分かりやすく解説することは難しかったのであろう。

後で分かったことはベントが遅れたために格納容器の圧力が異常上昇してきた。真水で冷やせばと注入するが容器の圧力が高いため水が思うように入らない。余震もあり放射能漏れが起こり構内の放射能測定値は異常に高くなった。とにかく冷やせと大量の真水を注入したが一五時半についに一号機で水素爆発が起きた。三時間後に避難地域は半径20km圏内に拡大した。真水で冷却するには水が不足する、海水で冷却すれば炉が保たない。しかし総理は二〇時に海水注入を指示した、と聞いた。

二ヶ月たってから真実が明るみに出た。初日からメルトダウンしていた。爆発してから淡水注入していたが水が不足、海水を注入した。ところが斑目委員長が海水注入は再臨界のおそれ有りと言うことで、総理は海水注入中断を指示した。ところが問題はないと分かって海水注入を指示して20:20に東電現場は海水注入を再開した。時に55分間の中断がある、これは明らかに人災である。後日当事者が「言った」「言わない」と言い争っている、恥の上塗りを為政者はするべきではない、みっともないこと夥しい。

またの後日談、現場では所長が海水注入していた。55分止めてもいない、官邸、東電本部と現場とで報告、連絡、相談の「報連相」ができていなかった、指揮・命令通りに組織が動いていない。これは人災の最たるものである。現場と本部が信頼関係にない、副社長は言うことを聞かなかった所長を処分すると言ったとか、信じられない会社だな。

海水注入をTVで見ていて疑問が沸いた。自衛隊のヘリ、上空で水嚢から放水するが殆ど炉に入っていない。あの程度の放水で効き目があるとは素人には疑問である。冷却命令はよいがヘリからの放水の効果があるのだろうか。防衛相の会見を見て不審に思う。昨日放水したかったが、放射能が多くできなかった。本日安全な放射能の範囲を見極めて安全を確認しながら高いところから放水した。原子炉内の水位が下がり燃料棒の露出は溶融(メルトダウン)が起こり究めて危険、さらなる水素爆発を起こさないための放水であれば、命がけ被爆覚悟の命令は難しかったのかなと思う。当事者であれば誰もやりたくない、命令したくない。これがテロで敵が核爆発を起こすかもしれない、そのときでも命令できないのであろうか。戦争なら良い、それ以外は駄目なのかよく分からない。高校同期に防衛大学に二人進学した。彼等はいざというときには覚悟をしていた、士気は高く感心したことがある。国民のため、国のため命を捧げる、これは人間の尊厳はあるが極めて崇高な行為である。これを国が、国民が称讃してやまない、命は金にかえられないが称讃の代価もそれなりに報いなければならない。原発爆発は戦争と匹敵する、これを機会に自衛隊ほか国家国民のために現場で奉仕する人を称揚する風土を造り上げることが必要と日本の未来のために思う。神戸大震災のときはアンチ自衛隊の市長の指揮官がいて自衛隊の出動要請が遅れた。今回は早々と自衛隊十万人規模の出動が要請されその活躍には目覚ましいものがある。

東京都の消防車が注水する、長いノズルがある。これならピンポイントで注水できる。上空からヘリで撒水するのとは比べものにならない、思わず拍手した。ドイツ製というが、これだけの消防車を良くも調達したもの、先見性は褒められて良い。後日東京消防庁ハイパーレスキュー隊の報告、慰労会があった。TVを見ていて剛毅な都知事の目が光っている、加齢で涙もろくなることもあると思っていたがそれには訳があった。被爆を最少にして瓦礫の山のなか粉骨砕身注水作業をしている消防隊に「何が何でも七時間連続注水しろ」「言うとおりにやらないと処分する」「東京消防庁は下がれ、自衛隊がやれ」。これを聞いた都知事は官邸に乗り込み総理に直訴した。部下はリーダーをよく見ている、例え火の中、水の中、命を捧げるくらいの人徳、統率力が指揮官にあるのが望ましい。「東京から日本を変える」四選出馬の都知事が再選されるのは確実と思った。と同時に都知事が総理で、自民党の大臣、それと霞ヶ関の役人が国難に対処していたら事態は大きく変わったと思わざるを得ない。「文春」五月号に都知事が「暴走する首相官邸」と書いている、納得する記事である。また作家の麻生さんが「原発冷却・自衛隊の戦い」ほか無名戦士の記録をよんで、自衛隊ほか現場力の強さに改めて日本人であることの誇りを思う。しかし戦後焦土から復興し何故日本は負けたのかとの疑問に、「軍の下士官以下は有能であるが、将校、参謀、大臣、総理は無能である」との知見を読んだことがある。嘆息が漏れてくる。政治を変えるにはどうしたらよいのであろうか。

企業は国際競争にさらされ必死に闘い、合理化、効率化されてきた。少子高齢化、借金大国、本来は消費税20%に上げて置かなければならないのに、選挙で負けるのが怖く言い出す勇気と度量に欠けた政治家諸氏。未曾有の国難にあり、消費税は復興税としてやむなしとの世論調査はあるのに、いまだに議員で反対を唱えている人がいる。どういう了見かわからない、復興の道筋を真剣に考えているのであろうか。

個人的な荒っぽい考えだが、参議院は必要であろうか。明治維新で英国の議会制民主主義を導入した、それはよいとしても、時代は様変わりでないか。議員の数も半減でよい、歳費は復興に充当する。政治は少数精鋭のほうがよい、有事に徒に時間を浪費している、未だに復興の青写真ができない。数百人の国会議員は何をしているのであろうか。政治主導もよいが、有事には官僚の能力をフルに引き出すべきである。そのために法律改正が必要であればどんどんやればよい。それが出来ない、百家争鳴、衆愚政治である。それは国民が選んだ、選んだ方にも重い責任が

1995年は阪神大震災とオウム真理教無差別テロが幕を開けた。当時の内閣は半年前成立した自社連立の村山社会党首班内閣であった。村山総理は就任後、自衛隊合憲、日米安保条約堅持、日の丸・君が代容認、原発は過渡的に稼働中のものは認めるということで社会党は180度転換したと世間は驚いた。20人の閣僚の内訳は自民13、社会5、さきがけ2である。河野外相、武村蔵相、橋本通産省のほかに自民党が重要役職を占めた。

大震災復興は、企業が八面六臂の活躍をしたが、官庁も自民党要職の大臣の指示のもと、素早い対応を示した。今回の東北大震災のもたつきとは異なる。

ただ前年に松本で毒ガス「サリン」事件が起こっているのに、対応がまずく東京地下鉄で大量サリンの無差別テロが起こった。テロに破防法を適用しない内閣の甘さは指弾された。

神戸は5年間でかなり復興した。しかし「サリンテロ」は10年余もかけて未だ裁判が終了していない。欧米の司法を見習って貰いたい。司法について誰もものを言わない。新聞、テレビは司法について改善のための行動を起こして貰いたい。サリンテロなどどれだけの時間と費用をかけたか、それで司法のノウハウはどれだけ蓄積されたのか。司法のコストを半減して東北大震災の復興資金にあててもらいたい。裁判員制度では従来の裁判より性犯罪などかなり厳しい判決を出しているそうだ。国民の常識にかけ離れた司法になってほしくない。最高裁判所の判事の○Xはあまり意味がない、サリンテロについてとか憲法改定とかを選挙の時に国民に裁断を仰いだ方がよい、脱線したが。

 

5 原子力安全・保安院

 ご苦労なことに毎晩TVに出てくる人がいる、枝野官房長官は弁護士で冷静で分かりやすく説明している。もう一人の西山審議官、ポーカーフェイスで沈着に説明している。お役人としてスポークスマン二人は失格して3人目の登場である。外国人との記者会見も見事にこなしている。もし私が当事者であれば、合格かな、いや失格かもしれない。私には役人コンプレックスがある。というのは半世紀前国家公務員経済6級職筆記試験に合格した、成績は180人中60番であった。その成績では大蔵省は無理、通産省はどうかな、経済企画庁か文部省、厚生省ならよいかもしれないとのことだった。ところが面接試験があった、そこで見事におとされた。5尺三寸、12貫目の貧相な小男で官僚にしては頼りないと思われたのか、支離滅裂な答弁であったのか、態度が大きかったのか良くわからない。大学就職課長に本学の名誉を傷つけたと言われた。

「捨てる神あれば拾う神あり」西三河の田舎の挙母町の会社の面接試験を受けた。

人事担当常務は開口一番「君、体は大丈夫かね」

「はい、見かけよりは丈夫と思います」

背が大きく痩せぎすの常務はぎょろっとした眼で

「僕も見かけよりは丈夫だよ」と笑顔になり、内定をもらった。

体は丈夫と言ったてまえ、健康には気をつけ、盲腸で1週間と二日酔いで1日早退以外、風邪ほかの病気では休まなかった。働き蜂だったわけではないが組合から年休を取らないワーストテンにも載った。

西山さんは東大卒、ハーバード大修士である、事務職でありながら原子力安全・保安院企画課の要職を勤め上げている。3人目のピンチヒッターとして日夜の奮闘には敬意を表したい。

 ところで一二日の会見には驚いた。安全・保安院が放射能漏れの量は37万テラベクレル、原子力安全委員会が1.7倍の63万テラベクレル、天文学的な数字はよく分からない、しかし何故違うのかの説明がない。それはまだしも原発爆発事故評価が当初はレベル3で問題なかったのが、5になり、この日は7になった。チェルノイブイリと同じではないか、本当かな。

 チェルノブイリ事故は今年でちょうど25周年、4月26日に爆発、当時のソ連は公表せず近くの半径30km、13万人の住民を強制避難させた。放射能は国境を越える、原発事故ではないかと騒がれ28日にはソ連は認めざるを得なかった。130km南のキエフには外国人は立ち入り禁止、18日後にゴルバチョフ書記長がテレビで事故を説明した。爆発を隠しても人の口は封じられない、噂が噂を呼び、キエフほか各地がパニックに陥った。5年後IAEA(国際原子力機関)は住民にそれほど被害なしと報告書を出すが、5年後から甲状腺癌患者は急増した。160km北のゴメリで毎年50人内外、400km北北西のベラルーシ共和国の首都ミンスクでも数人が出ている。子供と妊娠中の女性が多かった。

 福島原発事故評価がレベル7は過大であると、IAEAほかフランスなどが異議の物言いをつけた、どちらが正しいか素人には判断ができない。

 保安院は今年で10周年を迎える、保安院長の年頭所感は「原子力の安全を一層確固にするため、不断の取り組みを継続することが不可欠。今後取り組むべき原子力安全の規制に係わる課題について整理し、経験と知見に基づき規制制度の充実、新たな技術的な知見の活用など42項目の規制課題についてその実現にむけて具体化をはかる・・・」

行動規範は「強い使命感」「科学的・合理的判断」「業務執行の透明性」「中立性・公正性」であり安全規制の一層の充実、事故・トラブルの未然防止、万一の事故への迅速で的確な対応、事故の再発防止に引き続き全力を挙げて取り組んでいくとの所信表明である。欲をいえばその実現のための「工程表」があると良いのではと思う。

それはともかく戦後原子力平和利用で原子力発電が推進されてきた。事故の起こるたびに規制が強化され、監督組織も膨大なものになってきた。東洋経済によれば現在内閣府が原発の司令塔、予算17億円、構成員約500人、「原子力委員会」と「原子力安全委員会」の二つの委員会がある。原子力政策の大綱決定とその推進をはかること、および原子力安全規制を2重にチェックする機関である。

経済産業省は原子力業界の監督官庁、予算1898億、職員は1200名余。原子力振興の旗振り役の資源エネルギー庁と原発の監視人である「原子力安全・保安院」、安全・保安院をサポートする「原子力安全基盤機構」がある。そのほかに総合資源エネルギー調査会があり「原子力部会」と「原子力安全・保安部会」など15の分科会がある。

文部科学省には「日本原子力研究開発機構」があり予算2571億、職員4000人。「日本原子力研究所」と「核燃料サイクル開発機構」がある。環境放射能モニタリングとか原子力政策、原子力事故損害賠償も担当している。

原子力のお役所として年間6千人、5千億をつぎこんでいる。それでも想定外?の津波で福島原発事故は起きた。原発の安全規制を原子力安全・保安院と原子力安全委員会で2重に行うと言うが、本当に意味があるのであろうか。事故が起こるたびに、焼け太りして監督の組織が大きくなった面があるのではないか。

原発の稼働数、米国は104、フランス58、日本54、ロシア32、韓国21、インド20、英国19、ドイツ17、中国13。核兵器を持っていないのは日本、韓国、ドイツである。核兵器の技術開発が平和利用の原発に役立つことは確かであるが、ノーモアヒロシマで日本の核兵器開発はできない。その分原発の研究に人と金がいると言うことかもしれないが、少なくとも原発運転主体の安全監督検査でこれだけの組織、人、金がいるのか分からない。米国、フランスなどはすっきりした組織ともいう、核は持たなくても韓国の原発監督組織は簡単であり、原発輸出を大統領がトップセールスすらしている。

菅総理は唐突に浜岡原発稼働中止を要請した。しかし隣国の韓国政府は早々と世界一安全な基準を設定した、東亜日報は報じる。

「原発敷地が完全に浸水しても、原発に非常電力が供給できるようにディーゼル発電機の施設に防水扉や防水型排水ポンプなどの防水施設を設置する。車に積んで移動できる非常発電機も設置する。最悪の事故でも水素爆発しないように受動型水素触媒再結合器を設置する。耐震基準をマグニチュード6.9に耐えられるよう設計基準を強化する。地震に備えて原子炉の自動停止システムを備える計画をたてた」

毎年6千人、5千億を注ぎ込んでいても、未曾有の国難に韓国のように素早い対策が出来ないのは何故だろうか。「こわいので原発は止める」は安全・安心の見識かもしれないがノーモアヒロシマ、安保反対のデモを思い出す。国策として勧めてきた原発をどうするかの戦略も戦術もない、いささか後ろ向きではないか。

政治主導はよいが、事前に根回ししたらつぶされる、自民党党首に入閣要請と同じで独断専横ではないか。ノーモアフクシマのポピュリズムは市民運動家の面目躍如であるが、草葉の陰で市川房枝さんは喜んでいるのであろうか。おまけに浜岡は安全が確認されたら稼働を再開するという、原発戦略の再検討をしてからでも決して遅くはない。福島原発事故でどの電力会社も再発防止に躍起になっている。民の力を信ずるべきである。電源のバックアップ、水素爆発にそなえた現場のベント基準などお上に言われなくてもやっているだろう。浜岡を止めたら、当面原価が上がる、ただでさえ高い日本の電気代、これ以上高くして製造業などが日本を脱出したら雇用も萎む。東北復興の青図も2ヵ月経ってもできていない、日本経済の振興がなければ日本沈没である、何が喫緊の課題であるか一国のリーダーは認識してもらいたい。浜岡原発稼働中止は、よもや菅降ろしの一発逆転ホームランとは思いたくない、日本国家のリーダーとしての説明責任とその見識を示して貰いたい。

お役所も福島原発事故を機会に焼け太りでなくスリムな実効ある監督官庁に脱皮してもらいたい。

それに検査で品質とか安全を保証するのは時代遅れではないか。戦後の日本の民間製造業は鉄鋼、電気、自動車など検査で品質を保証するのではなく、設計、生産準備、生産のそれぞれの「工程で品質を造り込む」ことに心魂をつぎこんできた。おかげで日本製品は「安かろう、悪かろう」から高品質の製品を生み出すようになった。「IF JAPAN CAN、WHY CANT WE」と米国は日本の製造品質に瞠目した。検査でなく工程で品質保証する「TQC(全社的品質保証)」を日本に研修に来た人も多い。韓国は日本に追いつき追い越せと品質保証を重視し、テレビ、自動車で日本製品を駆逐しているではないか。原発も大統領がトップセールスしている。

原子力安全・保安院でも品質保証には注目している。それは2002年東電が自主検査や国の定期検査に当たって一連の不正を行っていたこと、2004年関電美浜発電所の配管破損で11名の死傷者が出たことなどで規制改革を行った。

第一は原子力の安全の一義的な責任を負うのは電力会社である。品質保証を活用した保安活動を法令上求めることにした。

「品質保証とは、電力事業全般にわたり、ISO9000をベースにしたもの。トップマネジメントによる原子力安全に対するコミットメント、またPDCA(計画、実施、評価、改善)のサイクルがきちんと回ること。品質保証を実現することは、巨大で複雑なシステムである原子力の安全性を国民に説明する材料として優れている」と書いている。

第二は原子力発電施設が運転を開始した後にも常に新品と同じ技術基準を満たす必要があることを前提としてきた従来の規制を改め、日本機械学会の維持規格を基準とした健全制評価を行うことを義務つけた。

これは安全・保安院発足5年にあたり、西山企画調整課長が今後の原子力安全・保安行政のありかたについて述べたものである。

私見を述べれば、国策として原子力発電を担っている電力会社はこれだけお役所にがんじがらめにされなければ、発電事業の運用ができないのであろうか。トップが原子力の安全に関与するのは当たり前、PDCAのサイクルを回せ、健全性評価をしろ、今更お上に言われなくてもやっていると電力会社は言えないのであろうか、それほどレベルが低いのか、信じがたい。安全・保安院と電力会社は相互信頼に欠けているのではないか。あれやれ、これやれ、規格、基準はできたか、マニュアルは、報告書はとお上に言われると、それに全力疾走、現場の自主性、主体性は損なわれる。何事もトップとかお役所にお伺いをたてないと仕事が進まない体質になる、怒られるような報告はしない。報告しないからさらに管理、規制を強化する悪循環に陥っていないか。原発の異常事態発生から初動の30分の即断即決が水素爆発するかどうかの分かれ目とされる。3交替二四時間の現場の運転管理者が、自主判断ができるような仕組みが必要ではないか。いくら規制を強化しても、それだけでは限界がある。炉の自動停止、冷却水注入のための電源確保、システムのさらなる整備は必要だが、それを動かすのは生身の人間である。いざというとき応用問題を解いて爆発を未然防止する、放射能漏れを防ぐ、現場力をいかに育てることこそが今こそ求められるのではなかろうか。

ウォールストリートジャーナルは福島第一原発のベントについて慎重な対応が仇になったと報じている。

「米国の事故対応マニュアルは格納器内の圧力が設計圧力を超える前にベントすることになっている。韓国も台湾でも手順は同じである。危機的状況下素早い対応をとることが必要である。たとえベントで許容限度の放射性物質が外部に放出されても、ベントを実施することになっている。米国と日本の違いは、米国ではベントは発電所の要員に任されているのに対し、日本では放射性物質放出の可能性がある場合の判断は会社のトップまたは政府上層部に委ねることになっている」

もしこれが事実であれば、彼我の意思決定のメカニズムの差が未曾有の放射能漏れを起こした。東電トップと官邸、および原子力安全・保安院が権限委譲を現場にしていなかったのは万死に値するまさに人災であることになる。事態の究明、真の原因を解明しなくて「浜岡原発稼働中止要請」は「羹に懲りて膾を吹く」ことにならないか。

刑務所の塀の上を歩いた田中角栄さん、ピーナッツで塀の中に落ちたが、ノーモアヒロシマのなか原子力平和利用のために「電源三法」をつくり原発を推進した、おかげで製造業主体の日本の高度経済成長があった。角栄さんは福島第一原発の事故と浜岡原発中止要請をあの世で何と言っているのかな。


6 放射性物質の被曝

 爆発が起こった、放射能漏れはどの程度か、被曝はどの辺りまで大丈夫なのかに誰でも関心がある。しかし毎晩の記者会見、テレビ、新聞を見ているだけではよく分からない。インターネットの情報は玉石混淆である、ネットサーフィンするには時間がかかる、後期高齢者は眼がつかれる。しかし今回の報道でネットの価値がよく分かった。

 被曝の安全基準一つとっても

1年に100ミリシーベルトまでは問題ない」

1年に1ミリシーベルト以上は危ない」

「緊急時には1ミリから20ミリの範囲であれば大丈夫」

1年に100ミリ以下の被曝では確率論的に患者が発生する」

いろいろな解説が識者からある、どれが正しいかよく分からない。海外で情報が隠蔽されていると報道される。国民を徒に不安に晒さないため報道管制がひかれているのかなと思わざるを得ない。それは「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」という成句を彷彿させる。

 武田邦彦さんは毎日プログを更新している。放射能の被曝について丹念に説明している。国際勧告とか障害防止規則で基準値が決まっていると初めて知った。その基準値を官邸はどう判断して毎日記者会見しているのか、NHKほかメディアはどう解釈して報道しているのかよく分からない。新聞は斜陽と言われて久しいが、今回は大本営発表の面はあるものの多角的な解説記事が多く参考になった。テレビほど単細胞ではない、各紙とも工夫を凝らしているのに感心した、図書館で新聞各紙を読むのが愉しみであった。

ユーチューブで稲恭宏さんの講演を見た。放射線と人体への影響を解説していた。原子炉の至近距離で被曝しない限り放射線の害はない。根菜類、野菜全般、魚介類など一生食べ続けても何の問題はない。本当かなと思うが、徒に心配するな、心配のストレスが体に悪いと理解した人が多いかもしれない。

私事だが10年前に前立腺癌全摘出手術を受けた。そのとき放射線療法があることを知った。しかし米国では小線源療法があるが、日本では放射線が怖くてまだ導入の許可が下りていないと聞いた。これは前立腺内に5mmの放射線を発する金属片を多数埋め込み、ピンポイントで癌細胞をやっつける。体外から放射線を注ぐと癌細胞だけでなく周りの良質細胞も傷つく。数年前だったか担当ドクターは米国に小線源療法の技術習得に渡米した。私は全摘手術より小線源療法のほうが良かったと言ったら、日本人は放射線アレルギーがあって中々決断する人が少ないとドクターは言っていた。ノーモアヒロシマで放射線が医療用、工業用に使われて有用であることが知られていない、怖さが先立つらしい。

健康診断、人間ドックには基準値がある。最近はメタボの基準値もある。しかしメタボは別としても血圧とか、コレステロール、中性脂肪、血糖などの基準値や範囲は海外の膨大な追跡データから見直しされている。つまるところ人それぞれである、一律に基準とか範囲は決められるものではない。自分の健康は自分で判断しなさい、画一的に決めない方がよいみたいである。

放射線被曝も放射線の正しい理解のもとに各自が判断することかもしれない、しかし幼児とか生徒は厳しい基準値で守った方がよい、放射性物質には体内で累積して悪さするものもあるらしいから。小佐古敏壮さん、「子供には年間20ミリシーベルトが限界、年間1ミリシーベルトでは子供の健康への影響は大人の3倍」と言って、急遽総理に内閣官房参与に登用された委員を辞任した。勇気があるものと感心するが、原発御用学者がいい加減であれば堂々と闘って欲しいとは思う。多勢に無勢、良心が咎めるのは分かる、それにしても学者の原発村は言論統制が厳しいのか、両論併記ということでも良いと思うのに度量がない?おまけに辞任の記者会見しようとしたら官邸の国家機密保持で中止させられた?

日本は世界一のCT大国でノーモアヒロシマにしては被曝大国である。胸、腰、膝、腕のレントゲンほかの累積放射線量は凄いものがある。後期高齢者はどうでもよいが、日本の未来を担う若者は母子手帳のような放射能手帳をもち各自が記録に留め、必要であれば早期に検診することが望ましい。

北欧などが福島放射能汚染マップを作成している、米国、フランスなどの気象庁は原発放射能漏れがどう広がるか予測しているのに驚いた。なぜ日本でできないのか、気象庁は桜前線、杉花粉マップなど流しているのに。放射能の測定は文部科学省で予測は気象庁、連携が悪いのかと思ったら、「放射性物質拡散予測」という100億以上税金を注ぎ込まれた原子力安全技術センターのシステム(SPEEDI)があることが後ほど分かった。官邸および福島県にはそのデータは提供されている、しかし国民には知らされていない。気象庁は国際原子力機関(IAEA)には報告しているのに国内では公表しないとは驚きを超えた言論統制?

無智な国民に教えたらパニックになる、報道管制をひいたとしか、考えられない。放射性物質モニタリングのデータはある、それをもとに拡散予測マップを更新しながら、退避勧告などすべきであろう。国民は馬鹿ではない、風、地形、雨などで変わるとデータの意味を解説しながら公開すべきであろう。国民はそれで利口になっていく、それはスリムな安価な政府・官僚体制、自主管理できる国民ということに繋がるのではなかろうか。


7 公益企業の体質

 昔から電力会社、ガス会社は地域の優良会社で、就職先に選ぶ人は多かった。銀行は給料も良いし、福祉施設もある、仕事も割合楽だ、お婿さん・お嫁さん選びによい。ただし転勤が多い、生まれ故郷を離れる、都落ちは嫌だということで都市銀行は敬遠する人もいる。事実バブルがはじけて、「親父が勧めたから銀行に入った」が、リストラでさんざんな目にあったとこぼす息子を持つ銀行員はいまも多い。電力・ガス会社は地方への転勤がない、銀行とは違うので名士の子息、良家の子女が多いのは昔からである。公益企業ということでコネの就職依頼が引きも切らないと聞いたことがある。縁故入社が多いと、企業の活性化はできない。役員など管理職の子弟は就職させないのも一つの見識である。学閥を避けるため特定大学は就職人数を制限するのも良識と言うものである。

 電力会社は前から成績優秀でコネのある人が多い。「東電」「原発」を書けば売れると汗牛充棟の本、雑誌が書店に並んでいる。思わず何冊か購入する。それを読んだら、東電はコネ入社が多いのではと思う、それは多分昔からであろう。元東電平岩外四社長、経団連会長は確か尾張常滑出身であるが、歴代の社長は東京地区出身者が多い。親が東電に勤めていた、親戚が東電にいたという社員は多いだろう。コネ入社は会社への忠誠心はあるのはよいが、不正を見て見ぬふりをする、隠蔽体質になりやすいこともある。清水社長は親が東電役員である、東電は東大閥であるが慶応卒で初めて社長になったとのこと。東電OL事件の慶応卒女性管理職の親も東大工学部卒の発送電部長職であった。当時は優秀な女性でも短大並の仕事しかない、早くお嫁に行けと言う風土はどこの会社も同じである。同期の東大卒の女性に留学試験で破れて企業内エコノミストを目指すが、企画部でもそれほど難しい仕事はない。心の病になるが職場で相談する人もいない、自尊心は強い。癌におかされ役員一歩手前で亡くなった父親にたいする思いもある、管理職であっても忠誠心を発揮する仕事もない。定時出社、定時退社、渋谷で春を売り最終電車で自宅に帰るのを日課にするようになる。会社ではおかしいと皆がたぶん気がついていたはずであるが、忠告するような雰囲気ではなかったのが信じられない。本人の問題もあるが職場の活性化ということが、問題にされないような風土であつたのではと思う。

 「東洋経済」は政財界に行き渡る東電勢力を報じている。経団連の会長、副会長に社長、会長が6人、経済同友会に社長4人、東京商工会議所に社長4人。民間会社ではこれほど財界活動するところはありえない。勲章が貰いたいためとは思いたくない、仕事が閑なのか、公益企業で財界から役職を押しつけられているのであろうか。その他電気事業連合会など公職は多い。経団連の会長ともなれば、100人以上の社員が調査・資料造りに追われるらしい。財閥系の大会社にしかできないと言われたが、最近はスタッフが少なくても会長になる人も出てきた。それは会社の負担が少なくて良いかもしれないが、そもそも財界活動は必要なものであろうか。欧米では日本ほど財界活動を熱心にするのかな?

米国とかフランスの電気代に比べて日本の電気代は二倍である、もっと原価を下げるために社業に専念して欲しい。電気業界の知見が必要なら、代表権を返上して顧問としてボランタリーで活躍してほしい。日本でなぜ談合がなくならないか、トップが業界団体、財界活動している、下々は止めたくても止められないとの声を読んだことがある。財界活動をしていない企業では談合は少ないそうだ?

 官界、政界にも進出している。東電労働組合出身者が二人、参議院と連合会長、副社長が自民党参議院、副大臣で入閣もしている。日銀政策委員もいる、多士済々には驚いた。東電出資先、原発関連企業も載っている、日本の縮図でもある。東電が政界、官界だけでなくマスコミも牛耳っているモンスターである、発電と送電を分ける、電力自由化などを進めるがモンスターは牛耳れない。歴代の資源エネルギー庁長官ほかお役人は、就任・退任に当たりまず東電にお伺いに行くのが慣例とか、多額の祝い金、餞別をもらうとかいうが信じられない、嘘であって欲しい。挨拶に大勢役所に来て貰うと迷惑だ、一人で出かけた方が効率的だというのが本音と思うが。

 「日経ビジネス」が政官とスクラム組んだ原発共同体の過ちを書いている。事故と隠蔽と謝罪の歴史を読んで、なぜ再発防止がしっかり行われていないのか誠に不思議である。事故、不祥事などは関心があり気をつけて読んでいたつもりだが、見落としていたか、あるいは記事の書き方の筆が鈍っていたのか分からない。少なくとも前の事故との絡み合い、再発防止を大々的に書いていてくれていたら少しは記憶にあるはずと思う。広告宣伝費、接待でマスメディアは、NHKは別として書きたくても書けない、書いてもキャップから穏当に書くように言われているのは分かるが、社会の木鐸との気位が欲しいものだ。

 2002年米国技術者が告発して、東電の原子炉の炉心隔壁にひび割れがあるとの記録を改竄したことが発覚した。トップが引責辞任すればすむ問題ではない。

 2007年にも原発検査データの改竄が発覚している。北陸電力の臨界事故隠しが発覚してから東電は9年前の福島第一原発3号機のプルトニューム臨海事故隠しを発表している。七電力会社の総点検で97件もの不正があったとのこと、信じられない。

 なぜ事故を隠すのか、データを組織ぐるみで改竄するのか、尋常でない原発各社の隠蔽体質があるのかもしれない。同誌は「想定外のウソ」として@大津波を予測していた学者がいた。 A電源は大丈夫はウソで50年前から課題であった。Bマニュアルは完璧のウソであり現場力の低下に歯止めがかからず、と書いている。

日米の原子力行政を比較して米国は「原子力規制委員会(NRC)」が大統領のもとにある安全のための行政機関であるが、日本は原子力委員会と原子力安全・保安委員会と2重の委員会がある。事故、不祥事のたびに規制が強化され、マニュアルは分厚くなっていく。米国はマニュアル大国だがマニュアルでは問題が多い、現場力に委ねるようにマニュアルを作り直した。日本は規制天国で現場力に委ねる発想は出てこなかった。もともと日本人は製造業を始めとして第1線の現場力は強い伝統と歴史がある。現場力を大事にしていればベントも早くできた、福島の爆発、放射能漏れの大惨事は起きなかったかもしれない?

 隠蔽、改竄が企業ぐるみである、役所も穏便な処置をしていたとは信じられない。これが米国であればどういう処置をしたのであろうか。業種が違うが米国の報告遅れ、改竄に対する厳しさは日本の比ではない。

 1995年阪神・淡路大震災の年、企業不祥事で震撼する事件が起こった。大和銀行の凄腕トレーダーが米国国債の取引で11億ドル(1100億円)の損失を出し11年も隠蔽していた。トレーダーは大和銀行本店役員会で報告し営業成績を褒められた。また海外拠点長会議で「NY支店の証券投資業務」を報告しトレーダーの模範と崇められた。しかしトレーダーの頭取への告白文で不祥事の全貌が明らかになった。頭取は「現地採用のローカル職員を信用して裏切られた」と本音を漏らした。

七月十七日に告白文が届いて、行内は極秘で鳩首協議、「期末決算まで損失補填に全力を挙げよ」と指示した。

八月八日頭取が大蔵省銀行局長に報告した。大蔵省は銀行の不良債権先送りで金融不安・市場混乱を避けたかった。木津信用組合、兵庫銀行破綻処理が一段落してから米国当局に報告する阿吽の呼吸が大蔵・銀行に整った。米国金融当局・連銀に報告したのは九月一八日であった。

米国の動きは速い、五日後の九月二三日(土)にFBIはトレーダーを逮捕した。二六日に大和銀行は公表した。何故一人で不正が出来たのか、世間は驚いた。銀行の監査、大蔵の監査、連銀の監査は巧みにすり抜けていた。証券投資売買の当事者とカストディ(取引管理)の長を兼ねて良いのか、銀行内でも問題であった。「大和の国際取引異常」との投書も連銀にはきていた。不審とは気がついていても為す術がなかった。トレーダーは神経をすり減らし、改竄処理を続けていた。米国銀行員は不正防止のため年に一回二週間の休暇が義務つけられているが入行いらい一度も休暇を取らなかった、働き蜂として大和銀行では賞賛された。

FBI特別捜査官は

「出来たら穏便処理という誘惑は分かる。しかし頭を冷やして判断することが肝要だ。違法に対処するのに違法を繰返すのは言語道断」

「個人の失敗は、組織の欠陥や体質により信じがたいほどに膨らむ。内部管理体制を整えるのは企業にとってつまらないことかもしれないが、企業の生命をにぎるほど大切なものである」

日本企業の不祥事隠蔽体質、不正を見逃す行政と企業の馴れ合い、意図的な不祥事公表の遅れが内外で糾弾された。大和銀行は罰金三五六億、国外退去命令を受けた。

一六の被疑事実があるが主なものは

「告白後も損失隠蔽、共同謀議」「司法当局に報告遅参 重罪隠匿」「損失隠蔽のため、損失確認後も顧客預かり証券売却、書類改竄」「連銀検査時に偽装妨害工作」

大和銀行は責任を否定したが司法取引で巨額罰金を支払った。後に株主代表訴訟が起こり役員に八百二十九億円の返還が要請されたが、二億五千万円で和解が成立した。

東電の社長が引責辞任でお役所の責任はないがしろにされている。刑事事件にして、官僚も企業も裁き再発防止をしなければ、馴れ合いのもたれ合いの公益企業は続いて生き延びる、体質改善はできなかったのかも?

 

8 体質改善の取組み

 東京電力、関西電力などは公益企業で同じ体質ではと思い、両社の30年史、50年史を読んだ。明らかに違うことがある、それはTQC(全社的品質管理)への取組みである。関電は電力業界初のTQC導入、デミング賞も受賞した。東電も導入したが途中で棒をおった。理由はいろいろあるが、まずトップの学歴がぜんぜん違う。

 東電は戦後11人の社長がいる、技術系は2代目の一人だけ。事務系は東大の法学部、経済学部が7名、現社長は慶応経済出身、私学は初めてである。しかも東大法・経卒が7人で社長の座を48年間独占していた。許認可権を握るお役所との折衝で赤門は断然有利であることは確かであろうが、社内を向くマネジメントは疎かになる。ちなみに関係官庁の通産省資源エネルギー庁のエリートを5人も上位役員にいままで迎え入れている。

 関電は戦後10人の社長がいる。技術系は5人、事務系は5人でバランスがとれている。直近10年間は京大工学部卒の社長が3人続いている。事務系は東大経済3人、京大経済2人、法学部卒がいない、私学がいないのは極めて珍しい。独断専横の長期政権社長が取締役会で解任されたこともある。

 両社のホーム頁を見た。会社の長期ビジョン、経営計画などは似たり寄ったり、関電は具体的、東電は総花的の違いはある。一番異なるのは社長の顔が見えることである。

関電の社長宣言は(いまはなぜかホーム頁から削除された)

「安全を守る、それは私の使命、我が社の使命」

基本行動方針は

    安全は何より優先

    安全のため積極的に資源を投入

    保守管理で継続的に改善

安全優先の経営を構築する。

 上場会社の社長で安全優先の経営を標榜するのは稀有、さすが原子力発電の怖さを知るトップの宣言と感心した。東電には社長の宣言はない、会社の行動計画はあるが。

 関電はTQCを道具として会社の体質改善に取り組んだことが社史に克明に書いてある。社史と言えば会社の広報が目的、歴代トップの称揚で鼻持ちならないものが多いが、関電社史はそれを割り引いても事故の原因と対策もあり、20年間にわたりTQCを書いたことは、社史として特筆大書されてもよい。神奈川県川崎図書館に社史のコーナーがある。TQCによる会社の体質改善を100頁余記した社史は寡聞にして知らない。

 社史によれば1981年TQC導入の背景には小林社長の強い危機意識があった。

19793月のスリーマイルアイランド原子力発電所事故、7月の大飯発電所1号機事故、11月の高浜発電所2号機事故と内外で発電所事故が相次いだ。対症療法的対応ではなく、再発防止はもちろん、未然防止を含めて原子力発電所の安定稼働を達成し、社会的信頼を回復する抜本的な方法を模索するように指示した。その結果全社的にTQCを導入し企業体質の改善を図る以外に、関西電力の21世紀に向けて生き残る道はないとの認識が広まった」

 役員が率先研修し、電気事業のQ(品質)、C(コスト)、D(納期)、S(安全・環境)を同時に満たす「関電TQC」の確立をはかることにした。それは@社長診断による経営活動上の問題点の把握とその解決促進 ATQC的考え方による業務の遂行 BQCサークル活動による創意工夫の三項目である。

 関電のTQCの素晴らしさはデミング賞を受賞しても、TQC活動の定着をはかるため4年サイクルで長期PDCAを廻したことである。導入サイクル、推進サイクル、展開サイクル、定着サイクルと20年かけている。これほど息の長いTQC推進は初めて読んだ。

 自動車業界ではTQCの導入が盛んであった。日産が一番早く導入しデミング賞を受賞した。その5年後トヨタが導入し受賞した。日産は受賞後のフォローはあまりされていない。トヨタは5年後日本品質管理賞を受賞しトヨタグループ各社もTQC活動に熱心であった。部品メーカーのデンソ−、アイシンなどはトヨタ本体よりはるかに熱心な活動を続けていた。

 東電も1982年に「コストダウンと経営体質強化方策」としてT−80活動を推進した。これはトップダウンの「目標管理」と自主的運営による「サークル活動」、および両者が提起した課題に取り組む「タスクチーム」の三つの活動である。

 1989年にはTQCの考え方と手法を最大限に活用し「T−80活動」の定着に努めるため「T−80活動」を「TQC」に改称している。活動は続いたがTQC推進室は1996年には廃止した。清水社長はTQC推進室副室長を務めていた。

 日本列島の関東と関西では電力のサイクルが50と60と違うのは別としても風土が異なる。トイレットペーパーの売れ筋、関東はダブルだが関西はシングルが多い。ラーメンは東西で味が違う、コンビニのおでんも味を変えている。「TQC」という道具を使って経営体質改善に取り組んだ会社で関東は巧く使いこなせないところが多かった。関西は上手に使った会社が多い。中部地方の会社に成功したケースが多い。QCサークル活動も西高東低である。高校野球も西高東低だったが今は東もかなり頑張っている。要はトップ、リーダーが渾身の力をこめて邁進しているかどうか、所詮TQCは道具である、旗の振り方次第で成果があがる。

 TQCの一部の先生方にも問題があった。先生が生徒に接する態度が横柄である、皆の前で頭ごなしに怒られた。学歴を見ると私学ではないか、東大でも出来の悪い奴だと言うような悪口が陰でまかり通っていた。しかし関西、中部では何か得るものがあればという前向きに捉えた人が多いのに、関東では拒否反応を示した人が多かった。個人と会社の体質の差によるものだろう。

 TQCの原理・原則は「お客様第一」「後工程に迷惑をかけるな」「品質は工程で作り込め」でこれは当たり前のことである。その真意が理解できない役職者も多かった。

「経験と勘と度胸で判断するのでなく事実やデータをふまえて分析しよう」そんなことは言わなくても分かっている。現場の連中に言うのはよいが、高偏差値のエリートの尊厳を傷つける文言でもあった。

「管理のサイクルを回そう」それと経営管理のPlan、Do、Seeと何が違うか。SeeをCheckとActionになぜ分けたのか。など謙虚に学ばない人も多かった。

「A3の紙で起承転結を明確にして一人10分で説明する」「業務の説明でなくPDCAのサイクルを回した管理の説明をする」この忙しいのに作文を創らすなよ、時間の無駄ではないかなど口には出さないものの不平不満が多かったことも事実であった。

関東と関西の文化、風土の差があることは確かであろう。愚直に信ずることがないとTQCは巧く進まないこともある。真宗の教祖親鸞は自らを愚禿と言った。浄土宗の法然も愚の大切さを説いている。今様に言えば謙虚さの尊さを示唆されている。会社の体質改善は上下が愚かになり力を合わせた方が巧くいく。浄土宗・真宗のシェアーもなぜか西高東低である。

東電の社史を読んで第一次石油危機、第二次石油危機を乗り越える、原子力発電に取り組んだ苦労はよく分かった。経団連会長に上りつめた平岩外四社長の日常の決断と行動の基点は「いかに企業を守るか、安定をはかるかがトップの唯一、最大の責任である」には驚いた。尾張でも知多半島は貧しかった、父親が亡くなり苦労して東大卒業、兵役にも行き東電をエクセレントカンパニーにした大立者はハングリー精神があった、修身斉家治国平天下が身についていたのかもしれない。

荒木社長の言にもびっくりした。「会社の中年太りや動脈硬化を防ぎ、健康でスリムな体を取り戻す必要がある、要は会社の健康管理が大事である」は良いとしても、「普通の会社を作ろうじゃないか」「兜町を見て仕事をしよう」。世の中がどのように変わっても私企業としての活力を維持できるよう、組織の中に若々しさとしなやかさを取り戻す構造改革をめざして経営の舵取りを行った。

公益企業、地域独占ではあるが、お上の規制業種である。許認可で霞ヶ関にがんじがらめにされて経営の自由度が乏しい、主体性、自主性が育たず上を見る「指示待ち」の風土ができたのは、ある程度はやむを得なかったとも思われる。

 TQCで重要なのは、Q(品質)、C(コスト)、D(納期)、S(安全)と言う横軸が縦軸の部門を串刺しにして全社の体質改善をはかることである。それが巧くできないのは、トップの旗の振り方がまずいからである。

東電の社史を読むとTMI(スリーマイルアイランド)への対応として

「当社の採用している原子炉は、TMIの発電所のものとは型式を異にしており、また十分な安全管理体制のもとに運転しているので、同種事故はありえないと判断されたが、原子力発電の安全性に対する社会への心理的影響にかんがみ、このような事故を絶対に起こさないとの決意のもとに、直ちに事故未然防止のための措置を講じた」

通産省に原子力発電品質保証検討委員会が設置され、東電は中央操作室操作盤、運転管理、教育訓練の見直しをおこない、原子力技能訓練センターの設置をした。

チェルノブイリの原発事故については

「日本の原子炉の大半は軽水炉であり、チェルノブイリの黒鉛減速軽水冷却沸騰水型とは異なる。また我が国では考えられないような人為的ミスが引き起こしたものであるが、被害の深刻さは日本でも大きな波紋を呼んだ」

と他人事のように書いている。人為ミスはどこでも大なり小なり起こる。それを未然に日常管理で防止することが肝要であるのに忘れさられているのであろうか。危機意識に悖ると言われるのではないか、原発を社内に持っているのに。

 関電の社史では「スリーマイルアイランド、チェルノブイリ事故の教訓」として縷々書いている。

スリーマイルアイランドの事故について、

原発訓練センターに運転員を派遣して、シミュレーター訓練をして異常時の処置能力の維持向上に努めてきた。保守要員には職場内訓練とメーカー派遣教育を行った。しかしTMIの事故、社内の事故について反省すると、運転・保修要員のさらなる教育の必要があった。社長室に原子力品質プロジェクトチームを設置し、20項目にわたる提言の「原子力発電所の保修にかかわる品質保証活動調査報告書」ができた。その一つは原子力保修訓練センターの設置である。発電所と同様の作業環境下で実技訓練を実施するとともに、過去のトラブル事例を貴重な教訓として研修を行った。

1958年IAEA(国際原子力機関)の原子力発電所運転管理調査団が関電高浜発電所を調査にきた。世界で15ヶ国25回の調査実績を持つ。組織管理、教育訓練、運転、保修、技術支援、放射能管理、化学管理、緊急時計画の8分野の綿密調査をした結果、運転管理体制は世界で最優秀と高い評価を獲得した。

チェルノブイリ事故からの教訓の一つとして、原子力本部の重要課題にヒューマンファクターを取り上げ、組織的な取組みを開始した。ヒューマンエラー対策としてマンヒムセルフ、マン・マンーインターフェイス、マン・マシンーインターフェイスの3本柱のバランスがとれていることが肝心である。マンーマシーンから取り組んだ。

関電の事故についても具体的な原因と対策が書いてある。また主要事故に絡む部品の現物や模型を訓練センターに置いて再発防止の教育に役立てている。失敗は共通の宝として原発の「負の資産」を公開したと小林会長は朝日新聞に語っている。

さすがはデミング賞受賞会社である。再発防止の管理のサイクルが見事に回っている。QCの原則の一つに水平展開がある、良い事例をほかの所でも真似して成果をあげることである。お役所は関電の事例を東電ほかの電力会社に水平展開をしたのかな?

通産省は原発の運転を電力会社に任しておけないと、国の運転管理専門官が各原子力発電所に常駐し、保安規定の遵守状況の調査、原子力施設の巡視、定期自主検査の立ち会い、事故時の通報・連絡をすることにした。しかしこのたびの福島第一原発の事故では7人の原子力安全・保安院の運転管理専門官は、なぜか上からの指示で現場を離脱して安全なセンターに避難したと非難されている。QCでは検査で品質は作り込めない、工程で作り込めが鉄則である。運転管理専門官が検査に徹しても福島原発の事故は起きた。

東電の会社方針を社史資料編(1951年から2001年)からのぞいてみると、最初は業務運営の基本方針だが、「経営刷新方策」、「経営方策の近代化、合理化対策の総合推進」とタイトルは変わっている。石油危機の時は「環境・資源問題に対処する電力資源活用の推進」「石油危機に対処する緊急経営対策」であり、その後は「新経営方策の基本方向と方策」である。80年代には「経営方策の新展開−80年代に挑戦する経営の基礎固め−」「80年代経営の基本路線」が出され、その実践として「経営の効率化・活性化方策」「コストダウンと経営体質強化方策」とその展開がなされ、そのなかに「T−80」活動がある。20世紀後半には「21世紀を目指す経営の基本方向」「新しい東京電力への行動計画」「第二次行動計画」が出されている。第2次行動計画の最後に90年代に向けてTQCの再構築が取り上げられ、「T−80活動」が「TQC」に改称されている。91年には「リサイクル社会への行動計画」が95年には「中期経営方針」が示されている。21世紀には「お客様満足の獲得を目指してー東京電力経営ビジョンー」が出され行動原則が示されている。

エクセレントカンパニー目指して高度成長期を乗り切ったことはよく分かるが、残念ながら「安全」のキーワードが文言にはない。TQCはQ、C、D、Sが方針の縦軸・横軸に必要である。C(コスト)、D(お客様満足)は重点に掲げ推進されているが、Q(品質保証)はやや弱い。S(安全、安心)の方針が会社方針でなく日常管理、あるいは部門長方針になっているのかもしれない。一旦緩急あれば国難になる原子力発電の会社である、「ふつうの会社になる」「兜町をみてしごと」の方針も良いが、「安全・安心」を会社の、社長のキーワードにしてほしい。

 

9 官と民

 IAEA(国際原子力機関)が5月から6月にかけて調査に来日する。北朝鮮を実地調査したが、事実の公開が満足でなくIAEAは北朝鮮を非難した。半世紀前日本の関電原発調査では世界で最優秀と折り紙をつけられたが、福島原発ではどういう評価をくだすのであろうか。隠蔽せずにデータや事実を全部さらけだしてほしいものである。IAEA調査対策ということではないかもしれないが、お役所の文書に驚いた。

 「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規則に関する法律・・・の規定にもとづく報告の徴収について」 230424 原第1号という文書。

「当省は、今般の福島第一原発の事故に関して・・・・下記の事項について、可及的速やかに報告するよう命ずる。・・・

この処分について不服がある場合には行政不服審査法の規定にもとづき・・・書面により経済産業大臣に異議申し立てをすることができる。・・・」

 「命ずる」「異議申し立て」などの文言に国策として原子力発電を官・民で推進しているのに相互信頼がないのか、民で働いていたものには違和感がある。

 原子炉圧力容器の水位・圧力・温度・ドライウェル内の圧力など9項目、復水・冷却・注水の操作実績、逃し安全弁・格納容器ベント開閉実績、電源確保及び電源復旧の実績など12項目、合計21項目の地震発生直後からのものである。これだけのデータ収集にかかる工数、費用はいかばかりか。それを清書してまとめて報告する、それを誰が読むのであろうか。事故の原因究明、対策、再発防止は喫緊の課題である。お役所と東電が専門家の有識者も入れてプロジェクトチームを編成し真摯に取り組むことが必要である。規則であるから膨大なデータの収集を命ずる、不平があれば提訴しろ、お役所の役割はそんなものかな?

 大臣が東電社長の年収を暴露してリストラを迫る、官房長官が銀行の借金棒引きを要求する。大向こうを唸らす役者であるかもしれないが、政治を預かるものには「品格」が必要ではないか。原発は官・民の合作である。第一義的には東電に責任があるにしても、「官」の責任に言及したことはあるのだろうか、アンフェアーではないか。

 新生東京電力についてリストラが求められるのはやむを得ない。しかし福利厚生施設について売却と報道されたのには驚いた。尾瀬には東電小屋があったな、木道は整備されていた。何回でも訪れたいところ、東電社員も誇りにしているであろう。辣腕で日産の再起をはかったミスターゴーンは豪勢な保養所には手をつけなかった。東電の再生は誰がやるのか、官がお膳立てはするにしても、つまるところ社員が懸命に働くことが肝心である。外人の経営者が血も涙もあるのに、日本人の為政者にないと思うと歎きたくなる、噫無情。

 リストラとは不要不急の不動産、関係会社株式を売却する、余剰人員を整理することなであるが、会社の体質をどう変えるかが一番肝要なことではないか。新生東電ルネサンスのために従来改革できなかつた膿を出し切ることである。それがなければ所詮元の木阿弥の会社になる。 

 閣僚から発送電分離とか安全・保安院の独立が唐突に叫ばれている。大事故を引き起こした国難である、何かやらなければならないという気持ちは痛いほど分かる。しかし福島原発の真の事故原因の究明が先ではないか。事実、データを隠さずに出す、罪を憎んで人を憎まず、徹底的に事態を究明するのが先、それを主導するのが国権の最高責任者のやることである。

 そのうえで、再発防止のために危機管理はいかにあるべきかの策を案出するのがよい。すでに原発管理機構は内閣府と経済産業省にあり、2重チェックの仕組みである。毎年数千人と数千億の費用がかかっている、組織の問題ではない、運用の采配の問題ではないか。原発大国の米国、仏国の国としての「官」のありかた、「民」のあるべき姿を学び直してほしい。これ以上「官」を肥大させることはやめて「民」の主体性を重んじる、安全・安心の原発にしてもらいたい。

 発電と送電を分けるべきと言う議論は以前からあった。競争原理による電力の自由化である。米国カリフォルニアで電力小売りの自由化が行われたが、電力危機に機能不全に陥った。効率向上、電力原価低減はよいが、電力の安定供給がないがしろにされては元も子もない。東電を解体し発電会社と送電会社に分けたいらしいが、天下り先のポストはふえるかもしれないが、お客様の電力消費者が低廉な電力、安定した電力になるのかどうか検証をしてほしい。「官」の効率的な?「民」の管理監督が二つの会社に分かれるとそれだけ手間暇もかかるのではなかろうか。役人の肥大増殖に終わらないようにしてほしい。

 製造業では製造と販売を高度成長期に分ける会社が多かった。しかし低成長期になると合併する会社が多くなった。発電と送電も業態は違うが川上と川下である。お客様にとってどちらが好ましいか、安くてサービスがよい、安全・安心であることが求められる。

 トヨタは戦後ストライキになり経営危機になった。日銀総裁は日本に自動車会社はいらないと言ったが、トヨタが潰れれば三河の、愛知県の経済振興はありえない。日銀名古屋支店長の采配で都市銀行が協力して融資に踏み切った。その条件が会社を工業と販売の2社に分けることであつた。都市銀行で融資に応じない銀行があった。血も涙もない住友銀行ということで、頭取が何遍も頭を下げても30年間トヨタは住友銀行と取引をしなかった。入社したとき、「金は貸してもらえない、銀行に門前払いの毎日」ということを何回も教わった。金がなくても知恵を出せ、知恵はタダである。改良、改善のDNAはそこから始まっている。

 トヨタ自工と自販に分かれたが、当初は社員同志よく知っている、問題はそれほどなかった。両社は再建に邁進した、会社が大きくなる、社員も増えるにつれ両社の意思疎通は時間がかかるようになった。お客さんの声が届くのが遅くなる、いちいち決済を上に上げねばならない、両社のトップに何事も相談するようになる、迅速な意思決定は難しく、特に海外進出は遅れた。

 大型合併で銀行が有名だが、1+1が2にはならない、たすき掛け人事、電算機の統合の遅れなどで1.5から1.8の力しかないと言われた。トヨタの工・販の合併は1+1が2.5から3になったとも言われた。国内、海外営業は目覚ましく伸張した。

 東京電力は地域独占である、自由化にも消極的などお上の政策に反応が遅い、従来からの隠蔽体質、おまけに原発事故、ここは東電の解体しかない。しかし余りにも大きすぎる、発電と送電の2社に分割したら、少しは言うことを聞くましな会社になるであろう。お上の心情はよく分かるが、本当に電力受益者のお客様の安心、安全につながるのか。米国の2倍の日本の電気の原価低減にむすびつくのか。人が増え、意思疎通に時間がかかり、お客様の安心・安全が損なわれ、電気代が高くなる、また合併ということにならねば良いが。

 原発は建設に用地買収、地域折衝など手間暇、金もかかる、いざというとき補償が大変だ、国営がよい。そうかもしれないが、国営は効率が悪い、お客様不在の経営である、民営化は世の流れである。国鉄、専売公社、NTT、郵便局など民営化した、お客様第一でどれだけ良くなったのかはかりしれない。

 通産省が日本製造業振興のために電力ほか資源エネルギーの確保に努めてきた。原発は他省でなく通産省で旗を振り、電力会社に一義的に経営を委託した。原発村だと、政・官・財癒着と揶揄されるが、それなりの功罪があった。

 「官」が「民」をリードし良くなったものもある。車の排気ガス規制である。米国はできないからと業界が政府に延長を要請した。日本では「官」が78年実施にこだわり自動車会社は青息吐息で頑張った、お蔭で世界一の低公害車、低燃費車ができあがった。

 「民」の用語が「官」の用語に格上げされたのに「工程表」がある。分かりやすい解説で有名なジャーナリストのIさんは、「工程表」は業界用語である、「計画表」「予定表」でいいはずと言っている。私の記憶に間違いなければ、「工程表」は郵政改革のときT大臣が使い始めた。それは車の新車開発で前工程、後工程が一糸乱れぬ仕事をしている。その陰にその工程管理のために「工程表」があると聞いて郵政改革の時、頭の硬い役人を統べるために創らした。本来なら5W1Hがついた工程管理表であり、単なる「計画表」「予定表」に終わるのでは意義はない。業務の工程管理をしっかりするために東電に「工程表」を創らせたのは「官」がその言葉の意義を知っていたのであろう?

 

10 ノーモアフクシマ

 ひきもきらない東電パッシングだが、新生東電ルネサンスはないものか。それはこの機会に徹底的な全社的体質改善を行うことであろう。後期高齢者が何をほざくか、失礼である、偉そうにと言われそうだが、黄昏の異端児として想いつくままに書いてみたい。

(1)財界活動中止

経団連、同友会などエクセレントカンパニーの必要条件でも十分条件でもない、この際止めたらどうか。会社外を見て仕事するのでなく、会社内を見て仕事をする。例えば原発の現場に行って社員を慰労したらどうか、昼間ではない、丑三つ時の睡魔が襲う夜勤の実情を現地・現場で現実的に診ることである。

(2)縁故採用中止

東電一家という体質には縁故採用が貢献している。役員、部長の子女はもちろん縁戚も縁故入社はさせない。政治家、官僚のごね得的な縁故採用の要望は中止と宣言する、人事部は喜ぶと思うな、有為な人材を採用できる。

(3)役員・社員の再教育

関電はその昔TQCを導入し、業界で初めてデミング賞を受賞した。東電は導入したものの全社的な体質改善にはいたらなかった。TQCでもIS9000でも全社員がかかわる運動で意識改革とその実践活動をしたほうがよい。TQMは米国が日本のTQCを勉強したが、ボトムアップは米国の風土になじまない。トップダウンのTQMをつくりあげた。日本のTQMは実質的にTQCと変わらない。ISO9000も欧米の運動である、トップダウンの強いものである。現場の人達のボトムアップの改善にはQCサークル活動がよい。

(4)調達・購買活動は相見積もり

原発は一基何千億単位、既設の原発炉の保全も数千億の費用がかかっている。随意契約ということでなく、競争契約、相見積もりを原則にした方が良い。別に日の丸の国産に拘る必要はない、GE、アレバなど原発大国の原発が安心・安全であればそれでもよいのではないか。福島第一原発1号機はGEのマークTである。世界で35基動いているらしい。30年が寿命なのに40年以上使用している。初代のマークTはその後改良・改善されているのに、原価償却済みの原発は利益源と安全・安心に疑問を持たず使い続けた? 最新型のマークTにしてもよいのかもしれない。原子力安全・保安院も彼我の危機管理、また管理・監督の研鑽になるであろう。

(5)人事交流

    地域独占の公益企業で各社の体質に違いがあっても良いが、原発部門は独善、排他的になりやすい宿命にある。社内で人事交流には限界があるかもしれない。東電と関電でトップ、原発部門長さらに監督者、運転管理者など交流・研鑽したら人事異動の効果があるのではなかろうか。たとえば関電の社長が東電の社長に、東電の原子力担当役員が関電の原子力担当役員など、株主総会の決議がいるが。

(6)国際交流

原発の運転管理者が一旦緩急のとき、その一挙手一投足が世界を戦慄させる。今回の福島第一原発、地震・津波が真夜中であればどう対応したのであろうか。夜分のこと部門長、トップまでは中々連絡がつかない。ましてやお役所、政治主導の官邸までには時間がかかるであろう。メルトダウンは最初の30分が勝負とも言われる、危機管理の初動体制は夜であればさらに混乱を極めたのではないか。

 運転管理者の教育訓練はシミュレーターなどで実施されている、マニュアルは整備されていると思う。しかしいざという事態が発生したとき、想定外のことが起こる、そのときは応用門題を解く知恵と動作が求められる。まさか放射能漏れが起こるベントは政治主導ということでもなかろう。お伺いと裁断には時間がかかる、一分一秒を争う現場で的確な現場力が求められる。

 国内原発各社の運転管理者の交流も効果があると思うが、国際交流をしたらどうか。イデオロギー、政治体制の問題はあるが、原発の運転管理者はそれを超えて共通の意識、悩みがあるのではないか。原発大国の米国、仏国と現業員の交流会をやる、できたら「安全、安心」についてワイワイガヤガヤ話し合う。その後肩を組んでカラオケを歌う。たとえば「インターナショナル」はどうか、「聞け万国の原発労働者・・・」

 ただし「汝の部署を放棄せよ」とか「全一日の休業は社会の虚偽をうつものぞ」は御法度、別の歌詞にする。

 できたら交流会は、自分達の職場の改善を発表するQCサークル的なものがよい。それにより、問題意識も高まりモラールも高まるであろう。

 言葉の問題はあるが、テクニカルタームさえ覚えれば、何とか通ずるものである。難しいのは通訳を通せばよい。

 金がない、それは財界活動を止める、マスコミ接待攻勢を止めれば十分お釣りがくるであろう。何より原発部門の現場が活性化し、現場の人達の目が、顔が輝くことになるのではなかろうか。

ゆくゆくは、世界の原発現業部門の人達がノーモアフクシマを合い言葉に二度と原発事故を起こさないよう誓い合うことができたら、これに過ぎるものはない。

 「海水注入55分間中断」誰の指示か責任か。総理、斑目委員長、東電などの対応が国会中継で長々とやられている。復興のための委員会ではないか、政争の場ではない、呆れてくる。

 後日、海水注入は中断していなかったと訂正の報道がされた。IAEAのヒアリングもある、事実を隠しきれない、しかし2ヵ月後に訂正報道とは?マスメディアも記者クラブに詰めて、それを報道しているなら戦争中の大本営発表と同じである。マスコミで一人くらい福島原発の現場で、本当に中断していたのか調べることができなかったのか。調査していれば大スクープになったであろう。偽メール事件で大臣が失脚した、今回の海水注入55分間中断の国会中継はお茶の間を賑わしたが、茶番劇はいい加減にしてもらいたい。

「福島第一原発の1号機は初日の15時間後メルトダウンしていた、2号機は101時間後、3号機は60時間後メルトダウンしていた」と東電は原発データを分析しては安全・保安院に523日提出した。初動体制が問題であるが、その後何をやっていたのか、後手後手である。事実を踏まえ分析して対策を打つ、また報告、指揮命令系統は危機管理で一番重要である。その反省をしっかりして再発防止に役立ててもらいたいものである。

2007年 IAEA13人の専門家が日本の原発体制の調査にきた。

「保安院と原子力安全委員会の責任が錯綜、曖昧」ほか28項目の問題点を指摘していた。保安院はIAEAの評価の要旨は翻訳したが28項目は翻訳せず情報公開は怠ったと伝えられている。日本の原発の2重体制チェックは世界一と言いたいかもしれないが、今回の原発事故で見事に鼻がへし折られた。

 IAEAが来日した、調査、勧告は隠さず情報公開して的確な再発防止をはかってもらいたいものだ。

 429日の東北新幹線開通で沿線の人達が手を振って喜んでいた。在来線は未だ開通の目処が立っていないものの、GWに帰省できた人も多かった。阪神大震災は81日後に運転再開、新潟中越地震は66日後、東北新幹線は49日後と聞いて驚いた。なぜ早くできたか、過去の震災の対策から学んでいる。国鉄民営化で、JR東日本、西日本、東海と会社は分かれたが、震災・事故の経験は共有している。私鉄も含めて災害復旧は物心含めて手早かった。「民」は言われなくても相互扶助で「官」より及びもつかない迅速な行動をとる。

 原発事故もあるが、東北の復興が阪神大震災よりかなり遅れているのではないか。テレビ、新聞などのマスメディアの露出度も低い。「官」の動きも鈍い、政治主導で身動きが取れないとか。政権参謀の発言と行動が軽い、不謹慎なものもある、リーダーの任命責任が問われる。屋上屋の参与の登用で政治主導が官僚の不信を高めているとか? そのようなことを言わずに未曾有の国難である、阪神大震災並みにお役所の真価をフルに発揮してもらいたいものだ。

 長い駄文をお読み頂き多謝。事実誤認、独断と偏見があるやもしれない、ご海容のほどを。          2011/05/24 一先ず筆を置く。


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