自分史を自費出版してみて


 1 自分史を書いてみたい

 古希を迎える、高度成長時代をひたすら生きた証として自分史を書いてみたい。書くなら人とは違ったものが書けないか。日経の「私の履歴書」は有名であるが、私は功なり名を遂げた偉い人でもない。普通のしがないサラリーマンの平凡な自分史は意味がないだろうか。刊行されている自分史をいろいろ読んだ。感心したものがある、瀬島龍三郎回想録「幾山河」波乱万丈の80年の人生、ただしシベリア抑留中のところはいまひとつ、書けないところもあるのだろう。

 先輩の自分史を読んでも出自から書いてある。私は自慢できる出自でもない、祖先を敬わないわけではない、両親には感謝している、しかし人様に読んでもらうほどのことはない。戦争中校庭を耕して芋を作った、サツマイモの雑炊を食べたなどひもじい思い出はあるが同時代の人は皆それぞれ同じような体験をしている、記録に残す意味はあるがそれほど書く意欲は湧いてこない。

 そのうち就職50年を迎える、晩婚であったから金婚式はできないかもしれないが、就職50年にすり替えられないか。昭和33年は就職難の時代、日銀の一万田総裁が「日本には自動車産業は要らない」と言った。ゼミの担当教授は、「貿易の自由化、資本の自由化を控えて日本の自動車産業はどうなるか分からない」と他業種を薦める。経済学部卒は銀行、商社、証券会社など志望が多く、製造業しかも田舎の僻地希望者は少なかった。三河で育つたから挙母が僻地という意識はなかった、長男でもある、母親を亡くしていたこともある、トヨタ自動車工業に何とはなく入社した。

 事務屋で入社して、購買、生産管理、経理などライン部門を希望したが機械計算部、いうなれば亜流の部門である。今では電算、システム部門は、花形かもしれないが当時は学卒はいなく職人が幅をきかすところである。大学同期で銀行に入った連中は支店に配属され預金獲得に奔走している。商社に入った連中は海外支店に配属され日本からやってくる偉い人のアテンドで忙しく渉外力を鍛えている。それに比べて私はPCS(パンチカードシステム)のオペレーター、電算機のプログラマーで日々忙しく過して夢がなかったな。それでも会社の高度成長で17年も電算機の関係の仕事をした。ついに異動の辞令が出たがライン部門でなくスタッフ部門、やがてTQC関係の仕事を担うことになる。TQCの推進の仕事も事務屋の主流ではなく亜流である。QCの旗振りをして10年余、主流の仕事はついに担当させてもらえなかった。しかし亜流の部門にいたからこそ、逆に会社の実像が深くはないとしても全体を浅くは把握できたと思う。亜流の縁の下の力持ちが、モラールが高く頑張るのが良い会社かもしれない。戦争を見ても兵站がしっかりしていないと戦は負けるのは歴史の教えるところである。傍流から見た社史、更にそこにうごめく職場の実情がうまく書けないかな。

 神奈川県川崎図書館は国会図書館を除けば一番社史が豊富に陳列されているかもしれない。いろいろな会社の社史を読んだ。一番豪華な社史は金融関係である。しかし同工異曲で面白くない。製造業のほうが造るものが違うこともあって面白かった。自動車業界はトヨタグループ各社のほうが、例えばTQCに関係した頁数など日産グループに比べてはるかに誌面が多かった。しかしどの社史を読んでも会社の発展、成長をたたえるもので、そこで「人」がどれだけ働いたかの苦労話は少なく、ましてや現場や職場の話はないに等しい。

 入社した翌年に作家の上坂冬子さん(2009年4月逝く)が「職場の群像」を出版して新人賞を獲得、女性の書きますわよ族の走りとなった。トヨタ自工のストライキのとき人事部労務課に在籍、会社の、職場の人間模様を仮名で書いたもの。新入社員の私でも仮名が実名にすぐ結びつき面白い、ノンフィクションに近いと思った。しかし人事担当重役の逆鱗にふれ異動させられ、昭和37年に退職してから、高派のノンフィクションライターになった。豊田東高卒の5歳年上のお姉様、知的できりっとした女性で近寄りがたかった、話す機会はなかったが後年高名な女流作家になるとは当時夢にも思わなかった。

 上坂さんが描いた職場の人間模様、それは在籍していたからこそ書けたものである。外からではなかなか分からない。勤めていた職場の関係から、人間味を全て書いたものではないかもしれない、書けないものもあっただろう。しかし現役で書いた上坂さんは勇気があったとは思う。

 亜流部門にいた人間しかも組織の一歯車が、亜流部門でも会社のために誠実に努力している人達が大勢いる、その人間模様を回想録風に描くのは、意味があるのではないかと思う。私とともに職場にいた人達の全ては描けないが、何とか私が会社で生きてきた証が職場の群像を描くことでできないだろうか。

 出自は書かない、会社の、職場の群像を書くとしたら「自分史」ではなく「自分誌」かもしれない。描ければ良いとしよう。

2 描き方の勉強ができないか

 古希過ぎて大分呆けてきたが、自分史とか小説の書き方の勉強はできないものか。カルチャーセンターほか調べてみた。自分史もよいが、折角勉強するなら小説の勉強をしたほうが良いかもしれない。学生時代は別としたら小説しかも純文学など興味もなければましてや読んだことはない。芥川賞など「太陽の季節」いらい読んだことはない。会社人間が今更文学の勉強、それも面白いかもしれない。

 早大エクステンション講座「小説教室入門」講座を受けることにした。初日N先生は「小説に書き方の法則はない。読まない者は書けない。書かない者は読めない」とのこと。続いてテストではないというが問題集が配られる。若いときなら少しは答えられたかもしれないが忘れたものもある、歯が立たない代物。解答が配られる100点満点の10点位で落第点である。先生が文学雑誌の編集長を勤めた経験から「文学を志すものはこの程度の知識があったほうがよい」との事で出題されたみたい。ビジネスマンで文学とは縁がなかったがそれにしても零点に近い、これはショックだった。

続いて講座を受ける理由が問われる、惚け防止とか、子育てが一段落して文学の勉強を再開したいとかいろいろ答えが続く。私は「自分史を書きたい」と言ったら先生は「まず書いてみなさい、書くことは沢山あるでしょう。人生の区切りごと、どこでも良い書けるところから」とのことだった。テーマのない人は課題の「声」で書くように言われた。生まれて初めて小説を書いてみた、四百字詰め50枚、最初にしては上出来との事、受講者の皆さんも好意的なコメントであった。

 入社して配属されてからのことを描いた「職人になれ、職人を脱せよ」50枚。先生は自分史になっている、この調子で書きなさいとのこと。受講者で若い人(30代から40代)は恋愛物を読みたい、書きたい人が多いので企業物の自分史には余り興味がない、つれないコメントが多かった。後期高齢者のしゃきっとしているお婆さん、入社の思い出と職場の実情がとてもうまく描かれている、教訓もあるので後輩の人にぜひ読んでもらいなさいとのこと。後期高齢者のお爺さんも、高度成長期の奔りの時代、当時は皆苦労した、その様子が的確に描かれているとお褒めの言葉があった、話半分でも嬉しい気がした。

 調子にのり次々に書く、しかしメーカー特有の言葉、テクニカルターム、例えば「かんばん」「工程管理」などは大半の人は知らない、それを易しく解説するとなると紙数が増える。難しいなと思いながらも書いてみる。案の定分からない、これは小説でなく企業読み物で関心のある人意外は読んでもわからないだろうなどの意見が多かった。しかしそれでも難しいものを読んでくれたことに感謝しなければならないだろう、全然読んでこない人もいたのだから。先生は余り気にしないで、書くこと、知りたければネット他調べる手はいろいろある、読む人は読む、読まない人は読まないとのこと、なるほどと妙に納得する。

 昔のことはトヨタの社史に大体書いてある。しかし分からないことはトヨタ本社の近くにあるトヨタ会館の図書室など訪れた。トヨタ新聞、トヨタグラフなど日経連の企業広報でたびたび表彰されていたもの、事実を調べるのに参考にはなった。

 春、夏など期毎に小編を少しずつ書き溜めた、恋愛物でなく企業物を読んでコメントし励ましてくれた先生ほか小説教室受講者の人には感謝したい。

3 出版したい

 折角苦労して書き溜めた、読むに値するかどうかは分からない。仮名で書いたが元の会社の人には誰が誰だか分かるであろう。事実と違うこと、失礼な書き方があるかもしれない。それでも職場の先輩、後輩には当時の苦労話として読んで欲しい。兄弟、甥、姪など私がトヨタに勤めていたことは知っていても何をしていたのかは知らないだろう。ビジネスマンとして生きた話し、難しいところは飛ばしてでも読んで欲しい。

 出版はずぶの素人、ネットで自費出版を調べた。どこに頼むか、出版社系、新聞社系、共同出版などなど。

とある共同出版社系の自費出版説明会に参加した。参加者は、女性は中高年、男性はシニアーが多い、約20人弱。句集、自分史、写真集などなど、原稿をこれから書く人、原稿は既に持っている人いろいろであった。

一番驚いたのは髪をふり乱した女性、化粧のあともない。「今時間ができたからすっ飛んできた、私は四人の子育て中で眼が回るような忙しさ、その苦労話を書いて出版したい、如何したら良いか」

事務局の人は「それは素晴らしいことを体験してみえる、少子高齢化、結婚もしない、子供も産まない女性が多いのに・・・これは出したら売れますよ・・・なんなら話して貰えばライターに書かせますよ」

部屋の後ろが書棚、過去に出版した共同出版という自費出版本が何百冊も所狭しと並んでいる。それでも全出版物を置いているわけではないと言う、驚いた。実にいろいろなジャンルの本がある。しかし何冊か手にとつて見るものの読みたい本は無かった。帰り際、テーブルに10冊くらい新刊本が並べてあった。どれでも本日説明会に参加した記念に1冊差し上げますとのこと。ちらちら見るが欲しい本は無かった、ゴミで捨てるのは著者に申し訳ない、1冊も貰わずに説明会から帰ろうとしたら営業マンに掴まった。立派な応接机の前で約1時間QAを繰り返す。どうも釈然としないところがある、私には肌が合わない会社である。大学の大先輩が立派な自分史を出し後輩に同窓会で贈呈してくれた。涙なくしては読めないもの、早速礼状を書いたことがある。それはこの出版社であるが残念ながらこの会社とは付き合いたくない気がした。

出版社系の会社、営業マインドはあまり感じられない、しかし歯の浮くような話は全然ない。当方の質問にも的確に応えてくれる、私には馬があうような気がした。

4 契約

 決めなければならないこと、部数を何冊にするか。書店の店頭に並べて売るのか。

贈呈は300冊くらい、500冊もあればと思ったが、店頭販売するのは1000冊以上ということらしい。費用は500冊も1000冊も1500冊もあまり変らないのに驚いた。

自分史は自己満足史、ましてやサラリーマンで亜流の部門を歩いた回想ものなど、関係者以外は興味がないだろう。とはいえ折角書いたもの、読んでもらえれば嬉しい限り。

原稿は四百字詰め480枚ある、四六版サイズで280頁の分厚いものになるらしい。表紙は4色、カバーはビニール加工の2色、帯もつけることにした。

表紙とか帯の原稿が送られてくる。表紙は3種類のデザインから選ぶことになる、よく分からないが縦書きの文字を横書きにしてもらうくらい、すっきりしたものを選んだ。

タイトルは「試練のかなた」。試練を越えてでも良いが格好良すぎる。サブタイトルに「トヨタ回想録」これは偉そうにみえるかもしれないが、偉い人でなくても平凡なサラリーマンでも回想する、活字を小さくして付けた。

帯は表が「トヨタ就職から50年 会社と職場の群像を 自分誌として描く」裏が「電算機17年の体験 TQC(全社的品質管理)11年の体験」 それぞれ章も付け加えた。これは硬すぎる、生真面目すぎるかもしれない。 

フロッピーを渡したものが下読みされる。誤字脱字も多い、それよりも意味不明のところがいかに多いか。ゲラ刷りの赤ペンを憎らしく思いながら校正に励むことになる。古希過ぎの身、おかしな文章、記憶違いもある、推敲に時間をかけなかったのを悔やむが遅い。丁度旅行して帰ったら2回目のゲラが届いていたので修正して送る。未だおかしいところがあるらしい、印刷の締めの日々が迫っているみたい。FAXで原稿を送ってもらうことにした。家庭用の我が家のFAX、一旦記憶装置に入れてから印刷するらしい。用紙切れと記憶容量オーバーが重なって送付原稿の半分くらい印刷したところで動かなくなった。出版社のFAXも途中で送付異常のメッセージが出たらしい。止むを得ない、深夜電話で頁と行数をもとに約1時間やりとりした、最終稿との事で双方気を使うこと夥しい。FAXは無償修理してもらっても気が晴れない。やはり余裕のあるスケジュール、出来たら3次ゲラ校正まで行うのが望ましい。
 5月に完成した。

「試練のかなたートヨタ回想録ー」 柴浦雅爾 講談社出版センター 1500円


5 店頭配本

700冊がGWの連休後3大都市圏の大型書店に並んだ。Y書店に平積みにしてある、幸之助さんの本の隣だ。中年の男の人が1冊手に取りぱらぱらめくっている。買ってくれるかと思えばどさっと元の平積みのところに戻す。心臓が高鳴り、どきどきしてがっくりくる。二週間後に覗いたら、すでに平積みは無くなっていた。1日に200冊も新刊本が出る出版業界、売れないと見たらすぐに返本するのだろう。K書店は業界読み物の棚に1冊置いてある、しかも長らく置いてある、平積みして売る本ではない、この書店には好感が持てる。

告知しないと売れない、それはそうだろう、新聞広告も掲載してみた。広告のキャッチフレーズも真面目すぎたが、注目する人は少ない、ましてや購入する人も少なかった。費用対効果では全然問題にならなかった。



6 寄贈

誰に贈呈するか、自分史を出した会社の先輩が忠告してくれた。あいつは読まないだろうとか贈らなかったら文句が来た。贈るときは基準を決めて公平に贈れよ、無駄で金もかかるが。300冊、会社の先輩・後輩、知人、親戚などに謹呈した。贈るのに本が分厚いので宅急便は高い、郵便局のほうが安い。しかし大量に持ち込んだために郵便局は怪訝に思ったのか、1冊ずつ計量している、別に異物は混入していないのに。待つ人の身になってみろ、お客を馬鹿にしているようにも思える、安い送料だから我慢しろと言うことかもしれないが。

住所録を渡せば出版社で送付してくれる、しかし自分の名前だけでなく相手の名前を書いて贈呈することにした、送付ミスが出ては失礼と思ったから自分でやることにした。しかしこれは労力がかかる、自分のサインだけで相手の名前は書かないでも良いのだろう。

7 購入者、贈呈者の声

 名古屋の書店に平積みしてあるのを元の関係会社の知り合いが見つけて購入、長文のメールをくれた。ペンネームで最初は誰が分からなかったが裏書を見て本人と分かった。小説ということだがこれはノンフィクションである、仮名を実名と対比し当時の模様を懐かしんでくれた。

会社の社史担当者の目にも留まったらしい。トヨタ70年史を書くにあたり貴著の中に出てくる史料が会社にはない、教示願いたいとメールがあった。40年も前の史料は大会社では残っていないのかもしれない。昔を振り返る史料は不要、前進あるのみ、それはそうだがOBとしては寂しい気がする。

電話、メール、FAX、葉書、封筒などでお礼が来る、千差万別である。

先輩からの電話「よく描いたな、娘婿がシステム部の要職にいる。先輩が苦労したから今日のシステム部があると何時も言い聞かしているが、活字のほうが良いな、これを読めと渡すよ」

大学の同僚からの電話「よくも書いたな、就職50年の節目それはそうだ、お互い高度成長時代は懐かしいな。それは良いが何故ペンネームか、何故登場人物が仮名か。タイトルが文学的ではないか」

送付した包み紙には氏名と住所だけの印影が押してある、電話番号が無いので名簿を調べたと苦情もあった。迷惑電話が多いので電話番号は登録してない、できるだけ電話番号は書かないようにしていたが、迷惑をかけることもある。

突然小包、開ければ本が入っていたと毎日メールが入る。まずは送付お礼というものから一読したもの、中身を吟味してからお礼といろいろあった。中学時代の友人は長文のメール、流石は元新聞記者、コメントが鋭い。主語は何か、ここは何が言いたいのかなど穴があったら入りたいくらい恥ずかしい思いがする。

海外旅行で知り合った同人誌の編集をしている女流作家からのメール「企業物にも興味がある、よく描かれている。会社とは絶えず前進しなければならない、その実情が良く分かった。リタイアーした同人誌の諸氏に薦めたい」と褒めてもらった。

会社の元上司からのメール「僕は家で会社のことなど女房に話したことはない」とのお小言。「それはともかく、よくぞ当時の苦労話を書いてくれた、お互いよく頑張ったな」「女房が『私はお父さんが会社でこんなに苦労していたなんて知らなかったわ』『息子にコピーして読ませたら』とのこと、出版祝に何か贈る」 後日ワインセットが贈られてきたのには恐縮した。

大学の同僚のメール「大会社で官僚的・硬直的会社と思ったが、案外フレシクブル、しなやかな会社である、それが世界のトヨタの原動力であることを改めて認識した」

数々のメール、その人となりが伺われる。

本の裏書にホーム頁のURLが印刷してある、ついでにネットで読んで「本も素晴らしいが闘病記などネットの記事も凄い」と褒めてくれた人も何人かいた。

葉書とか封書が毎日ポストに入る。メールとは違い、手書きが殆んど、ゆったりと椅子に座り読める、再読しやすいのが良い。

「君にこれほどの文章力があるとは知らなかった」「本を1冊上梓するのは大変だろう、古希過ぎてもよくも頑張った」「これだけ細かいことを良くも覚えたいたものだ、メモを残していたのか、偉い」「早50年過ぎたか感慨深い、年表があると分かりやすい」

「読んで頭をぶん殴られた、俺は高度成長期会社で何をやっていたのか忸怩たる思い」「トヨタ物は大体読んでいる、これは内部にいた者しか書けない物、知られざる書かれざるトヨタの実態が書いてある」「先輩の時代は恵まれていて羨ましい」「私のことを書いてもらって光栄」「僕のことが少ししか書いてなくてやや寂しい」「昔の職場の同僚が今も飲み会をやっているとは羨ましい限り」「お母さんと娘さんに捧ぐと冒頭にある・・・草葉の陰でさぞかし出版を喜んでみえることでしょう」「私が読む前に父が俺も書くと言って本を取られた」

お礼、お祝いとして元部下の陶芸家が皿を、さらに何人かがケーキ、無農薬野菜、図書券など贈ってきてくれた、返すのも悪い、恐縮してもらうことにした。

想定外のレスポンスに勝手に本を贈った当人は感謝・感激である。

8 出版してみて

 第1刷からまもなく1年を迎える。読んだ人から推敲がいい加減だ、間違い、論旨不明など10箇所くらい指摘された。古希過ぎて書いた、間違いは許されたいというわけにはいかないがもう10歳若かったらとは思う。

 読みたくもない自分史が何冊も贈られてきて、自分史について一家言あるノンフィクションライターの保坂正康さんは、人は何故自伝を書くか、その動機について

@自分の人生を書きとどめたい(内的衝動) A自分がいかに成功したか(自己誇示) B自分の人生を子孫に伝える(教訓) C自分の歴史的役割(記録性) D自分の特異な体験(特異性) と分析している。成功者の自伝はそうかもしれない、私は成功者ではない、自己誇示はないと思うがあとの項目は多少とも当てはまるかもしれない。

 自分史を書く人に「心構え3条件」を説いている。

@誰に読ませるか(想定読者) A自分のどの時代を書くのか(何をテーマにするのか) Bどのような手法で書くのか(形式 ノンフィクション? 主語は私? 誠実に書ける形とは)

 さらに書き方について5項目を念頭に置くようにと示唆している。

@みえすいた嘘はつくな A主語は常に明確に B形容詞、形容詞節を多用するな Cきれいごとばかりを書くな D勧善懲悪や立身出世のみに価値を置くな

 御尤もなことばかり、嘘はつかないが誤解、間違いはあるかもしれない。主語を明確に、これは書いてみて本当に難しい、内心忸怩たる思いがする。

 自分史は自慢史、自己満足史と揶揄されて久しい。贈られても迷惑だと言う声もある、確かにそういう人も大勢いるだろう。本の処分に困っている人もいるだろう。しかし良くぞ書いたと褒めてくれる人もいる。迷惑をかけた人には申し訳ないが今は出版してよかったと思っている。

 お迎えが来たら、その人の名誉・地位、金・財産はそれまでである。しかし活字は残る。昨年イスラエルに旅した、死海近くの洞窟で1947年にBC2世紀の旧約聖書などがユダヤ、ギリシア、アラブ語で書かれていたのが発見されたのを垣間見て感動を覚えた。ユダヤ人がローマ人に滅ぼされ、最後にマサダの山の洞窟で集団自害した。その伝承も活字が発見されて更に詳しいことが分かり歴史的事実となった。活字は活きているとつくづく思う。

 年々給料、賞与が上がる、辞めたいと思ったことはあるが首になるとは夢にも思わなかった高度成長期、しがない、ささやかな傍流のサラリーマン人生ではあったが、今にして思えば幸せでもあった。その生きた証が活字で残せたことは望外の喜びである。

 小型自家用乗用車一台分の金は掛かった。古希過ぎまで御蔭様で生き永らえた、企業戦士の働き蜂の道楽かもしれないが、自分への褒美と思えば、悔いはない、心が休まる。

            2009・6  横浜の寓居にて 

                                                戻る