2008・3・14
佐 藤 昭 三
それは今から24年前の古い話ですが、1984年(昭和59年)12月の或る日
私は大手町の日経ホールに「佐藤則子・イタリアオペラの夕べ」というリサイタルに行きました。
佐藤則子さん(注)は当時オペラの本場イタリアで屈指のオペラ劇場、ミラノスカラ座の専属、しかもプリマドンナ(オペラの主役女性歌手)として活躍中のソプラノ歌手でした。
(注)佐藤則子氏 略歴
1950年 福島県平市生まれ。
1974年 東京芸大声楽科卒業。
1980年 ミラノ・ヴェルディ国立音楽院卒業。
しかし私は、佐藤則子というオペラ歌手の名前を聞いたのは初めてで、彼女に関する知識は皆無でした。当時、日本経済新聞社が定期的に開催している音楽会の12月の企画が、たまたま彼女のリサイタルで、同紙上でその広告を見て、たまにはソプラノを聴くのもいいかも、という思いつきから出かけたのでした。当時私は、仕事が猛烈に忙しく、連日の残業、休日出勤の連続で、ストレスがたまっており、ストレス解消に役立てばと思ったのです。
さて当夜、会場の椅子に座り、おもむろにプログラムを開いて “おやっ、これは何だ”と怪訝に思いました。その夜の曲目は10曲で、最初の曲がヘンデルのオラトリオ「ヨシュア」からである他、2曲目から9曲目までが、ヴェルディ、プッチーニ、ビゼー等のオペラの名アリアであったのは当然でしたが、最後の曲が讃美歌「キリストにはかえられません」と印刷されているではありませんか。
この音楽会は、キリスト教とは無関係な一般向けの企画ですから、このプログラムを見て私がいささか戸惑ったことは、皆様のご想像に難くないと思います。
中間に休憩をはさんで、プログラムは予定通りに進行、私が予てから知っていた曲は3曲ほど(その内の1曲は、プッチーニの蝶々夫人からの“ある晴れた日に”)しかありませんでしたが、知らなかった曲も、歌手の優れた歌唱力によってそれなりに楽しんで聴きました。そして9曲までがすべてイタリア語(多分)で歌われ、最後に前記の讃美歌が日本語で歌われて終わったのでした。
普通に考えれば、プログラムの最後を飾る曲は、イタリアオペラ名アリアの中で彼女が得意とする曲、あるいは聴衆が喜ぶであろうイタリアオペラの中のポピュラーなアリアではないでしょうか。
讃美歌第U編195番(注)のこの曲の歌詞は次の通りです。
1 キリストにはかえられません、 世の宝もまた富も、
このおかたがわたしに かわって死んだゆえです。
(くりかえし)
世の楽しみよ、去れ、 世のほまれよ、行け。
キリストにかえられません、 世のなにものも。
2 キリストにはかえられません、 有名なひとになることも、
ひとのほめることばも、 このこころをひきません。
3 キリストにはかえられません、 いかにうつくしいものも、
このおかたでこころの 満たされているいまは。
(注)讃美歌T〜V編は、21世紀を迎えるに当って、1997年に大改定が行われ、
讃美歌21に代わりましたが、この曲は讃美歌21では522番として、
歌詞・メロディーともにそのまま引き継がれました。
以上