「三河物語」と言えば1622年大久保忠教が書き、昔は講談、今は漫画で有名である。忠教は言わずと知れた大久保彦左衛門、天下のご意見番、三河岡崎に2千石の領地を貰った旗本である。関が原で家康のために活躍したものの、時代は平和になり忠義を尽くした武断派の武士は暇をかこつようになり、文治派の武士が出世するようになる。60過ぎてリタイア―してから「三河物語」を子孫のために書き表した。旗本の立場で書いたから、全てが事実と言うわけではないが、江戸時代の武士・町人のベストセラー物語になった。勝海舟も読んで、リタイア―してから文字を習ってよくぞ書いたと感心している。文武の達人であったと思われる、時代の成り行きで悲哀をかこった物語が万人の共感を得たのだろう。当時としては長命、80歳で世を去り岡崎と芝白金に墓がある。
同じ題名では気が引けるが、三河人として生きてきた、65過ぎて書き物を始めた男の三河礼賛物語かもしれないがご容赦ねがいたい。儒学者佐藤一斎が「言誌後録第60条」に「老いて学べば即ち死して朽ちず」と書き、門下生600人、88歳これまた長命であった、少しでもあやかりたいものだ。
三河といえば、今やトヨタグループを避けて通ることができない。ワールドエンタープライズの立地した西三河を振り返ってみよう。お好きな目次をクリックしてください
1 母なる川ー矢作川ー
2 父なる教えー浄土真宗ー
3 尾張と三河
矢作川・浄土真宗・トヨタグループ | |||
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「矢作川」(郷土出版)、「絆」( トヨタ自動車)、上宮寺史(上宮寺)、本証寺史(本証寺)から転載 |
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