未曾有のリコールに想う


プロローグ

 連日連夜のリコール騒動、テレビ・新聞でこれでもかこれでもかとトヨタ叩き、何が起こっているのか良くは分からない。トヨタを離れて23年、トヨタは余りにも大きくなった、一介のOBとして郡盲象を撫でるきらいはあるが想うところを書き連ねたい。

 昨年秋名古屋のホテルで社友会が開かれた。トヨタOBが約800人集まった。新社長の豊田章男さんは先輩諸氏を前に緊張気味、明るく就任の弁を述べたが「社長になっちゃった」が3回、社長としては軽すぎる発言だが、率直で正直な人だと思った。なりたくてなったのではない、創業家の孫に生まれたばかりに巨大企業の重責を担わなくてはならない、その心情はよくわかる、割れんばかりの拍手である。

 フロアーに降りてOBの間を章男さんは周る。私は父上の豊田章一郎さんの話をした。排気ガス対策が一段落して部課長を再教育することになり「経営管理能力向上プログラム」を2年間おこなった。これはTQCの再教育でもある、章一郎さんは副社長として熱心に全部課長の説明を聞かれたとお話をして、新社長もそういう機会があるとよろしいですねと申し上げたら、笑ってみえた。

 今回の公聴会の章男さん、あのときの笑顔が消えている、悲壮感が滲み出ている。なぜもっと早く手が打てなかったのか、シンクタンク、ロビーストに金を使っているのに情報が入らなかったのか、情報の感度が鈍っていたのか、法規部・広報部・品質保証部は何をしていたのか、皆目見当がつかない。ジャパンパツシング、トヨタパッシング、それはいままでもあったこと、想定外の何が起こったのであろう、過去の経験が生かされていないのではと想う。「賢者は歴史に、愚者は経験に学ぶ」ともいう、二度とこんな騒動を起こしてもらいたくない。

1 リコール

 リコールをいかにも悪いような報道がある。リコール制度を正しく理解してもらいたい。途上国ほどリコールは少ない、先進国でもリコールをイメージが悪くなると隠す会社もあるが、トヨタは忠実にリコールをしていると思う。ただリコールするか、販売店の自主改修で直すか、次回のモデルチェンジまで待つのかの判断はケースバイケースである。しかし少なくとも生命に危険があるとか、安全に問題があれば即刻官庁と相談してリコールをしていると思う。

 80年代に車と飛行機について教えてもらったことがある。YS11プロジェクトに携わり東大工学部長を歴任され、デミング賞も受賞された近藤次郎さんはOR(オペレーションズ・リサーチ)とかQC(品質管理)の講師で来ていただいた。ワインとブルーチーズをこよなく愛する先生は一品生産と量産の違いを解いてくれた。うろ覚えだが飛行機は落ちたら大変だ、信頼性に神経を使うのは当然である。しかし環境与件は空である、成層圏、雲、雷など大体分かっている。離着陸は運行技術などの問題もあるが、想定外はエンジンの吸気穴に鳥などが入り込む、これはやっかいだ。それに比べると車は灼熱の砂漠、零下何十度の極寒地でも耐えるように、乗る人間は100kgの大男から40kgの撫子まで。飛行機は高度の訓練を受けた操縦士が操る、車は免許証があればペーパードライバーでも乗ることができる。安全・信頼性の設計は飛行機より難しい。しかも4年から6年でモデルチェンジする、自動車のエンジニアーは大変だと言われた。

 また製造は飛行機の場合、ボルト・ナットも含めて一品生産に近い、検査も厳格である。それに比べて車は量産である、規格値はあるにしてもバラツキをゼロにするわけにはいかない。千に三つの分布はずれがある。飛行機は万、拾万に三つの分布はずれで信頼性に違いがあるのは致し方ないとのことだった。信頼性に万全を期した飛行機だが、事故は世界で続けて起こることがある、これは不可思議である、航空会社の神頼みする気持ちも分からないではないとか言われた。

 飛行機にはリコール制度がないが、自動車にはリコール制度がある、過剰品質にならないよう品質と原価の造りこみをしっかりやる。それには忙しいエンジニアーにQC教育を勧めるのは良いことだと言って下さった。

 三河の僻地には都落ちで優秀な工学部学生は行きたがらないのではと先生に聞いたら、今は、それはないと言われたが、採用担当者には自動車メーカーそれぞれ特徴があると面白いことを聞いた。ホンダの人は「先生、ホンダは世界で2番目の会社になる、優秀な学生をお願いします」とのこと、1番になると言わなかったのがしおらしいとか。

 そもそもリコール問題はアメリカに始まった。1969年米国の新聞がリコールを公表していない、コロナのブレーキの故障を内緒で直している、隠しているに始まり、日本でも新聞報道から欠陥車と叩かれる騒動になった。英二社長は運輸省のリコール総点検の指令の前に全トヨタ品質総点検を実施した。社内には貴重な体験を今後に活かせと再発防止を呼びかける。

「創業以来、@お客様第一Aよい品よい考えで日夜努力してきた。しかし車は今や大衆の足として、いろいろな人に、いろいろな環境のもとに使われている。さらに安全な車、完全な車を目指さねばならない。今回のリコール問題を貴重な教訓として一人一人が真剣に考えて欲しい」とアメリカ発の報道2ヵ月後、社長はトヨタ新聞で全社員に呼びかけている。リコール騒動を契機に設計、製造で品質基準は見直され、体制整備、不良撲滅運動へと進んでいった。

 40年前の出来事であるが、今でも通用するメッセージである。

「愚者は経験に、賢者は歴史に学ぶ」とか。

 現役のころ販売店回りをしていた。あるとき代表者から「たまにはリコールがあると助かる」と言われた。驚いて「なぜですか」と聞くと「車をお客さんに販売する、しかし法定点検でも工場には入庫しない、車検も業者にとられる。リコールがあるとセールスマンから整備員まで結束してお客さんにコンタクトできる、工場に車が入庫する。社員の士気があがる」とのことだった。私はリコールを起こした設計者、製造者とその上司は針の筵に座らされた惨めな思いをしている。自工・自販の品質保証・アフターサービス担当者は運輸省との折衝、社内外の調整で日夜神経を磨り減らす。お客さんに迷惑をかけるだけでなく、信頼も損ねる、おまけに金もかかるリコールは無くしたいと関係者は皆思っていると説明した。しかしリコールは販売サイドから見れば顧客コンタクトでささやかなメリットもあるのを再認識した。

2 不良撲滅

 半世紀前、住宅産業はクレーム産業といわれたが、自動車も同じクレーム産業である。悪いことに当時は走る欠陥車、走る凶器とまで言われた。車の品質は安全、信頼性含めて格段によくなった、まさに隔世の感がする。それには完成車メーカー、部品メーカーの飽くことなき直向な血みどろの切磋琢磨の努力があったことは確かである。

 トヨタは1965年デミング賞を受賞した、1970年には日本品質管理賞を受賞したが車名は増える、エンジン、ミッション、足回り部品も増える。工場も増え、人も増えた。部品メーカー込みの品質保証体制を築いてきたが、依然として不良問題はなくならなかった。根元正夫さんは工場長を歴任した品質管理のエキスパート、管理者は5年ごとに再教育をしなければならないが持論であった。しかし1975年は排気ガス対策で青息吐息、そんな余裕はなかった。重要品質問題が多発している、設計品質責任と製造品質責任は半々である。技術部門、生産技術部門は超負荷であるがそんなことは言っておれない。QCの再教育と言うと抵抗感がある、もっと幅広く部課長の経営管理能力向上を目指そうということになった。(この詳しい経緯は拙著をどうぞ「試練のかなたートヨタ回想録―」柴浦雅爾 講談社出版センター)

 当初は製造・技術部門だけであったが、英二社長は全社部課長を再教育しろと指示が出た。原理原則は根本常務が教育する。部課長は自分の重要な方針をテーマとして登録し、半年に一度点検を行う。点検者は章一郎副社長以下役員、被点検者は部次長180名全員、課長600名は抽選になった。いかに管理のサイクルを回して目標を達成したかをA3用紙 1枚で、10分間でわかりやすく発表する、質問は5分。指導者には部長は担当役員、課長は部長、OJT(仕事を通じて)で教育する、指導者も研鑽になるとは英二社長の取締役会の弁である。

 品質不良多発をきっかけに全社部課長をOJTで再教育するのは稀有である。それだけに人材育成に社長以下幹部がいかに必死であったかが分かる。章一郎副社長は1979年、80年の2年間全点検に出席した。点検者は聞いているだけではない、質問しなければならない「僕が点検受けているみたいだ」と冗談に言われたこともある。80年末章一郎副社長はデミング賞本章を受賞している。

 NHK教育テレビスペシャル「日本解剖―経済大国の源泉―」の「QC」版で章一郎副社長は「TQCを推進して良かったことは」との問いに、「人が育つ、モラルが上がる」と応えていた。

 工販合併後章一郎社長の後を継いだのは豊田達郎社長であった。達郎さんとご一緒したときQCに詳しいのにびっくりした。聞けば留学したときデミング先生の弟子でもあった、そんなことはおくびにも出さない人柄であった。

 ものづくりは如何に品質を確保・維持するかが重要だが、これが簡単のようで難しい。技術系でものづくりにたずさわった人は理解があるが、事務系の人はいまひとつ理解が乏しいきらいがある。当たり前のことを当たり前にやる、その上に改良また改良、改善また改善の風土で品質を維持するには、並々ならぬ日夜の不断の努力がいる。

 英二さん、章一郎さん、達郎さんは技術系である。奥田さん、張さん、渡辺さん、章男さんと事務系が続く。ものづくりの会社のトップは信頼性、品質に理解があるほうが望ましい。余談だが、ヘリコプター導入の話があった。近藤先生に聞いたら言下に「社員を乗せるのは止めなさい」と言われた。ヘリコプターの信頼性は低い、まだ軽飛行機のほうがよいとのことだったのでその旨上申した。会社を去ってからヘリコプター墜落事故で社員が亡くなったのを知り愕然とした。事故といえばエンジンを開発し飛行機でテスト中に墜落したと聞いたこともある。近藤先生に教えてもらったが飛行機と車では信頼性設計・製造に格段の差がある。車屋の発想で飛行機を創るのは限界がある。むしろ飛行機屋の発想で車を開発したほうがよい。カローラ初代の主査の長谷川さんは飛行機屋で終戦後車屋になった。技術部門を統括し研究開発戦力が少ないなか、排ガス、燃費規制、軽量化FFプロジェクトをみごと乗り切り技術部門の屋代骨を築いた。

 飛行機会社で戦後自動車会社になったF重工は、FF車とか水平対向エンジンでは先駆的な会社で、ユニークな車造りをしている。自動車会社では珍しくリコール委員会がある、普通は品質会議とか、機能会議でリコールを審議するが、顧客・品質重点志向でリコールを全社委員会にした。関係部課長がリコールかどうか判断する、その結果を役員会にかけて審議している。トツプ他役員がリコールを審議すると、損益とか責任問題がからんでとかくフェアーな結論が早く出にくいこともある。部課長はお客様の目線で検討できる、会社の損益をそれほど短期的に考えなくてもよい、役員のように任期、責任問題を考えなくてもよいから会社の長期的な観点で判断できるメリットはあるであろう。

3 危機管理

 会社方針の仕事をしていたとき、国内販売、輸出台数、生産台数が決まらない、社長の専権事項である。部門事務局が立てた台数は、商品力が弱いから車は売れないと国内販売の事務局、他社に負けない車だからもっと売れると強気の海外部門の事務局、生産能力には限界がある。英二さんは1963年米国自動車技術会に出席していたとき、日本車が上陸している、けしからん太平洋に突き落とせとの発言があったのに驚いた。走行性能は低く、おまけにクレーム多発で輸出車は全然売れなかったときである。頭を下げて教えを請うときは親切だが、競争相手と見るとパツシングするヤンキー気質を思い知った。以降貿易摩擦で国益を損なうことに憂慮されていた。英二さんの机の上に赤鉛筆の輸出台数のグラフがある、事務局の案は輸出台数が急上昇している、それをなだらかな線に押さえ込んだ。生産台数は同じだが、国内販売が増えて、輸出は少なくなっている、部門事務局はそれぞれ頭を抱えていた。

 オイルショックのとき設備投資抑制の時期にもかかわらず、電算センターを建設した。そのとき用地がなかなか決まらない。用地は社長の専権事項である、排気ガス規制、電算機の統合などプロジェクトが目白押し、早く決めねば間に合わない。後で分かったが、英二さんの頭の中には電算センターが突然動かなくなったら、どれほどの影響があるか。外部からの攻撃に対して比較的安全な場所はどこかを模索されていた、危機管理をトップ自ら思案されていたのには感服した。

 1995年阪神・淡路震災のとき、ブレーキなどの部品メーカーが被災した。オールトヨタの総力をあげて2週間余で生産開始したと聞いて驚いた。

 1997年アイシン精機の工場が全焼した。ブレーキの重要部品のバルブはトヨタ車の全量をこの工場で生産していた。設計図面をもとに精密加工が必要な部品が、他社機械メーカーの協力を得て三日間で製造できるようになったと聞いたときは信じられなかった。もの造りのノウハウは日本ではどの会社でも高い、火事場の馬鹿力もあつたが、危機管理体制が阪神淡路震災を契機に見直されていたこともあった。

 今回の米国発のリコール問題、アクセルペタルが1社で製造されていたのは信じられない。部品の共通化は良いとしても機能部品が不良のときという危機管理の初歩的発想はあったと思うが、部品メーカーが育てられなかったのか不思議である。異国で製造品質には万全の配慮をしていたと思うが、顧客の使い方がわからなかった? お客様の車の使いかたにはいろいろあると、40年前のリコール騒動のとき、英二社長が全社員に安全な車造りをよびかけていたのではないか。

 今回のリコール報道でトップが「兵站が伸びきっている」と懸念していた、「官僚的である」「傲慢である」と警鐘を鳴らしていたと伝えられ、わが耳を疑った。言葉尻を捉えるわけではないが兵站が伸びたら戦いは負けである。ナポレオンしかり、日本軍の敗戦しかり、歴史をひもとけば古今東西を問わず、兵站が伸び切れば長期戦は悲惨な結果になることは明々白々である。

 入社が同期だが自販出身のI監査役は「俺たちの若いころに比べると、社員はよう働いとる、生産性は2倍、仕事にもよるが最低でも1.5倍だ」と名古屋弁で言う。特に管理者は大変だ、個人情報、機密保持、残業削減など昔に比べると管理項目が多い、また派遣社員が多くなったと杞憂していた。私は「管理能力プログラム」のときトヨタ病院長から「デミング賞の時患者が増えた、今度は心配ないでしょうね」と言われた。根本さんに相談したら「デミング賞の時は日科技連の先生にボロクソに怒られ、眠れない人が増えたことは確かである。今度は外部の先生はいない、指導者は上司である、それほど心配はないと思う」と言われたことを話した。Iさんは「よう働くのはよいが俺も心配している、人事労務部門が木目細かく気をつけるように言っているよ」とのことだった。

 昨年40年ぶりに堤工場を見学した。セリカ・カリーナのデイリーオーダー・フルチョイスのオンライン生産指示を、立ち上がりから担当していらいである。組立ラインの昔の面影はあまりない、ものすごく綺麗になった。自働化はすすみ人は少ない、アッシー単位の組付け、作業の安全、組立品質の確保に気配りされ、技能が低くても作業ができるようになっている。組立作業に異常が起これば、作業員がラインを止めるボタンが頭上にあり、いつでも引っ張ることができる。ボタンは品質の確保が第一、それから改善を考えると案内役の部長は誇らしげに説明してくれた。

 工場の現場では品質確保に作業員がラインを止めて改善している。技術部門、管理間接部門では業務に支障がある、異常があると分かったときどうしているのであろうか。SOSを発する仕組みはあるのだろうか。残業時間だけでなく眼や顔が輝いていると所属長が人をみているだろうか。上司、トップに上申する道はあるのだろうか、しがない宮仕えではひたすら従順であることが求められるのは分からないでもないが。

 トップが「兵站が伸びている」とマスコミに喋ったのは、問題点を見つけて既に手を打つよう指示したと信じたい、社員は良く頑張ってくれているとの言葉をマスコミが伝えなかったと思いたい。他人事のように「兵站が伸びている」と言ったとは信じられない。

田原工場が立ち上がったとき業務点検がおこなわれた。生産管理部長の「物流コストの低減」の発表を聞いて英二さんは大声で「ひとこと言いたい」、会議室はシーンとなった。「物流が日陰であるみたいだ、会社が潰れかけ再建のとき、知恵を出し物流改善で乗り切った。改善は金はいらないタダである・・・」 役員・部長は神妙に聞いていた。

 英二さんは翌年の組織改正時、生産管理部物流課とか他の部の物流課を統合した。それだけではない国内物流部、海外物流部、部品物流部を物流部門として位置づけ、技術・生産技術部門、生産管理部門など他部門並みに格上げした。工・販の物流関係者の士気は上がり改善は目を見はるような成果を上げた。縦割りで官僚的な仕事のやり方では生産管理部物流課が励んでも限界がある。組織・人事はトップの専権事項、思い切った手を打った。

4 海外生産急拡大

 リコール問題で海外生産の急拡張が原因で人の育成、製品開発、品質保証体制の整備が遅れているとの報道もあった。それがリコール問題の真の原因であろうか、よく分からない。工・販合併前は米国自動車輸出自主規制で海外生産の要請が海外からもきていた、また社内でもあった。ホンダがオハイオで工場を操業する、トヨタもと社内では切歯扼腕する人が大勢いた。しかし石橋を叩いて渡るトヨタ気質は、GMの閉鎖工場で両社共同生産の道を選び、そこで十分に彼我の仕事の仕方を調べ、ノウハウを蓄積したうえで単独生産に臨んだ。米国・カナダで単独現地生産を発表したのは19607月、ケンタッキー、ケンブリッジと発表したのは12月であった。(この間の事情は 楠兼敬「挑戦飛躍 トヨタ北米事業立ち上がりの「現場」」 中部経済新聞 に詳しく書かれている)

 オハイオに遅れること3年半でケンタッキー工場、遅れること4年でカナダ工場が操業したが、合弁工場のノウハウが活かされ、さらに3工場のノウハウの積み上げ相乗効果で海外生産の飛躍的発展が可能になった。年間50万台の生産能力拡大、7年で350万台増強は異常であるとの見方もあるが、周到な準備のもと地元と協調してよく頑張ったものと思う。3段飛びで言えば、NUMMIがホップ、ケンタッキーがステップである。オーラを発散する奥田さんが類稀な統率力を発揮して火をつけた、マグマが溜まった海外生産願望が飛躍的に伸びたはずである。

 合弁工場のNUMMIを見学したことがある。工場長は地域密着はよいとしても寄付以来が多くて大変だと言っていた。組立ラインで一番驚いたのは女性作業員が多かったこと、夜勤でも女性がいる。旦那と子供はどうしているのかと愚問を発したら、本人の生年月日以外は分からないとか。伴侶の誕生日に花を贈るとか、子弟の入学祝にランドセルを贈るなど日本式の労務管理は出来ないことをはじめて知った。女性に旦那がいるかどうか聞くのはむしろセクハラ訴訟にもなりかねないので、米国勤務に当たっては女性への言動は慎重にとの注意を出向社員は受けていた。しかし後に米国子会社の社長が秘書にセクハラ訴訟を起こされたと新聞に出たのを読んでぶったまげた。政治家の大臣、総理の女性問題は身体検査が難しいかもしれないが、社内登用の役員の身体検査はできるはず、ましてや外国の社長に任命するにはそれなりに役員としての行状を調べたのではなかろうか。

 トルコに旅行したときのこと、現地ガイドがイスタンブール近くのトヨタ工場を自慢していた。カローラの生産をしている、日本のカローラと違って幅が広い、プレスの型の保全工が必要である。トルコの工業高校を卒業した優秀な技能員を豊田市の元町工場に派遣して1ヶ月間研修させた。ガイドはそのときつきっきりで通訳を務めた。国際研修センターで寝泊り、食事はイスラムその他にも配慮されている、工場の食事もおいしかった。休日にはトヨタ生協やジャスコで買い物、日帰りで京都他バス旅行もしたと楽しげに話した。

ガイドは言う、自分たちの親はドイツのベンツとか、フォルクスワーゲンで働いた。技能があっても職工としては認められない、低賃金の末端のワーカーである。それが今や我々の手で車が出来る、しかも高速道路を通じてドイツ、フランスにカローラを輸出している。昨年は全世界で生産されるトヨタのカローラのなかで、品質ナンバーワンの栄誉に輝いた。トルコ人としてこんなに嬉しいことはないと誇らしげに語った。私はそれを聞いて涙がでてくるほど嬉しかった。東郷元帥がロシアを破ったと親日的なトルコ人だが、もの造りを日本に学ぶ、それが実を結び車の先進国ドイツに輸出できるまでに成長した、トルコの愛国者の喜びは、脱亜入欧で先進国に必死に学んだ100年前の日本人を彷彿させる。

 ハンガリーに旅行したときの現地ガイドは、スズキの現地生産のとき通訳を務めたご婦人である。スズキが現地に飛び込みいかにハンガリーのために自動車生産に熱心であったか、ハンガリーに溶け込んでハンガリー人に車造りを教えてくれたかを話してくれた。一日本人として同朋の活躍を嬉しく思った。トヨタの販売店がある、トヨタ車について聞いてみたら、トヨタは高級車、庶民には手が届かない、お店もお高くとまっているとのことだった。

 5年前かスペインに旅行したとき、観光地トルヒーリョ(ペルー征服者のピサロの銅像があるところ)でトヨタアベンシス2台に乗ってきた人達がいた。リタイアーして欧州一周の途中である。英国のご婦人に聞いた、この車はいかかですか。「この車は素晴らしい、ペルジャンロード(石畳の道)でも乗り心地がよい」「50年前英国は日本に車造りを教えた(日産がオースティンと技術提携)のに、英国は車造りでは日本に教わるようになった」と、首をすくめた。アベンシスはデザインをフランス、生産は英国ダービーで行なっている混血車である。異国でトヨタの車をほめてもらえるのは心地よい。

 4年前米国西海岸を旅行したとき、オプショナル・ツアーでヨセミテ国立公園に日帰り旅行。シスコ・ヨセミテは往復660km、東京・名古屋往復の距離であるが山岳地帯が半分。迎えに来たのはフォードF556V8ディーゼルの大型バン、4832名満員で出発した。ドライバー兼ガイドの日本人は時速100km以上でぶっ飛ばす、乗り心地は悪い。山岳地帯でもスピードは緩めない。驚いたのは日光のいろは坂のような上り坂を50km以上のスピードで走る。ガードレイルもない、シートベルトもない、右に左に揺られてご婦人方で車酔いになった人が居たくらい。ドライバーに聞いてみた、この大型バンは騒音が大きい、エアコンの効きが悪い、シートも硬い、乗り心地は最低、日本車のほうが良いのではと。ドライバー氏は笑って教えてくれた。トヨタの乗用車は最近よくなった、世界一かもしれない。しかし大型バン、トラックなどはまだまだ、乗る気がしない。なぜか、加速性能が悪すぎる。フリーウエイ、高速などに入るとき、加速性能が低いと追突される。市街地走行でもレーン変更などでもたもたしていたら追突される。日本では車の追突は100%、追突した車が悪いが、米国ではのろのろレーン変更して走る車が悪い。アクセルを一杯踏み込んで急加速できない車は危なくて乗れないとのことだった。急加速、急ブレーキは燃費が悪くなるとの問いに対して、米国では安全が第一である。日本の東名高速、坂でもアクセルを踏み込まない、時速100kmで走っていてアクセルはそのままで時速は80kmに落ちる、当然渋滞が起きる。渋滞こそ燃費が悪くなる、追突の危険もある、ドライバーはいらいらする。米国と日本でどちらが良いか、渋滞を起こさず高速で走ったほうが環境にも良いのではとドライバー氏に言われて、それもそうだと思った。最近米国では車の性能が良くなったから、速度制限が上がったところがあるとも聞いて、彼我の車の使い方に違いがあるのに驚いた。急加速は当たり前、アクセルの使い方も違う、大男が大きな靴でアクセルとブレーキをいっしょに踏むこともある。アクセルぺダルとマットが干渉した、そんなことは前々から分かっていただろうにリコール騒動の顛末に首をかしげる。

 驚異的な伸びとは言うが、米国の大型RV専用工場は遊休工場?なぜビッグスリーの最後の砦に挑んだのか分からない、政治力に負けたのかな。米国は別としても車の海外生産は、現地で喜ばれている、期待の星である。トルコと似たように発展途上国の車造りは、その国の根強い要請、期待に応えたものであろう。海外生産には部品メーカーが果たす役割は日本の比ではない。デンソー、アイシン、豊田合成などトヨタグループの総力を挙げたからできたことでもある、グループ各社はデミング賞を受賞した会社が多い。急拡大と叩かれるが、品質第一で良くぞ短期間に途上国の期待に応えたと、社員の頑張りを褒めてくれる論調もあってもよいのではなかろうか。

5 設計の効率化

 モデルチェンジが短くなった、デザインからラインオフまでリードタイムが短縮されたのに車の種類が増えて設計がオーバーワークになっている、それがリコール続発の要因という見方もあった。しかしそれは違う、設計の効率化が進んできたからできたことである、オーバーワークは今に始まったことではない。

 40年くらい前だったか、田口玄一さんに「信頼性」講座をお願いしていた。田口さんは米国自動車殿堂に本田宗一郎さん、豊田英二さんに続いて日本人として3番目に殿堂入りした人である。「タグチメソッド」の開発者として日本よりも米国で有名な人である。日本では官学出身の先生が日科技連中心にTQCを教えていたが、田口さんはTQCとは一線を画しSQC(統計的品質管理)で品質管理を教えていた正統派である。

 事務屋の私には「直交表による実験計画法」はチンプンカンプンであったが、設計段階から製品の品質を改良しようとする手法であること、平均と分散でバラツキを管理するのでなく、あるべき理想値を決めて、その差をつめていくことにより最終的にバラツキを少なくするアプローチであることは教わった。QCの先生方はみなさんお酒が強い、田口さんも好きで飲めば談論風発、いろいろ教えてもらった。トヨタ部品グループの会社に比べると、信頼性講座の受講者が少ないとか、タグチメソッドの信奉者が少ないなどの声もあったが、先生はそれほど気にはされていなかったように記憶している。難しい信頼性の理論の実用化よりも多変量解析などが実務では多用されていた。エンジニアーが仕事に忙しく、信頼性講座を受講する余裕がなかったことは確かである。

 CAD,CAM(コンピュータによる設計の、製造の援助)が大幅に進んで設計とか生産準備期間の短縮ができた。効率化が格段に進んで、新人の派遣社員でも少しの教育で設計・製造がCADCAMを使いこなせばできるようになったことが一番おおきかったと思う。

6 電子化

 車の電子化がリコール騒動の影にあると報じられた。電子化は車だけではない、最近の日本の携帯、そのた電気製品など電子化を避けて通れない。それがリコール騒動の直接の原因ではない。プリウスのブレーキにしても踏み心地の調整の問題である。電子化されていなければハイブリッドの車は成り立たない。「フィーリング」の問題と説明したのが叩かれた。私はうまい説明の仕方と感心したが、ギャルが多用する言葉で軽すぎるとか、車が停止する時間が長いのに安全軽視のリコール隠しとか報道された。しかしワイドショーほか批判する諸氏は雪道、凍った道を運転したことがあるのかな。50cm制動距離が伸びて人を危めたらどうするのか、一瞬ブレーキが効かなくなる心理的不安を考えたことがあるのかなどなど。内緒でブレーキソフトを直しているのは、後ろめたいことがあるのだろうとかの報道もあった。電波は公共のものである、視聴率が上がれば何を言っても良いのではない。さすがNHKの報道はまだ冷静であった。

 ただ電子化は良いとしても、入力と出力はセンサー、機械系との接点が問題となる。電子制御プログラムの問題もあるが、入力データが正しいのか、「ガラクタを入れればガラクタしか出てこない」のは昔から言われていたこと。

 私は中度難聴で補聴器を必要としている。かなり補聴器の精度は良くなったが、問題は音声の入力である。人間の耳は優れものである。遠い人の声に聞き耳を立てれば聞き取りできる。しかし補聴器は近い人の声が大きければ、遠い人の声は聞こえない、つまり消されてしまう、ノイズみたいのものである。指向性のマイク、つまりセンサーがないと人間の耳には遠く及ばない。

 LSIの基盤は信頼性が高くても、入出力の系の信頼性が低ければ全体として機能を果たしてくれない、フェイルセーフその他万全の措置は講じられているが、電子化の全体としての信頼性保証は今後もさらに詰めなければならないとの指摘はその通りと思う。機械系は長年の歴史がありノウハウの蓄積があるが、電子系はたかだか20年余である、その信頼性保証は今後の課題であることは確かである。

7 平時と有事 

 平時と有事で情報の伝達、決断、命令の仕組みは違う。有事に係長、課長、次長、部長重役と情報をあげ、そこで手が加えられ吟味されたら、トップに情報が到達したときは時間もかかるし、生のデータが損なわれて使い物にならない。戦争のときは有事の判断が大切だが企業でも有事と平時の区別は必要であろう。

 根本さんは工場長のときの体験で有事の報告のあり方を教えていた。工場でボヤ騒ぎがあった。原因が何か把握してから、対策を打ちそれから所属長に報告するのではダメ。まず報告する、そのとき聞いた相手が心配するから、原因が分かり次第報告しますと付け加える。また対策が決まり次第報告しますと2段、3段構えの報告が有事の報告である。トップに報告して心配させたらとまずいとか、小さなボヤまでいちいち報告するなと言うのは、有事の危機管理が分かっていない、平時の考え方のままである。トップは、同じような工場、工程が他にもあるのではないか、ひょっとしたらテロではないか、と頭をめぐらす、そこにトップの値打ちがある。指揮官は24時間勤務、平時は良いとしても有事は機敏に対応しなければならない。日本は戦争放棄しても平和ボケになってはならない、企業の国際化が進んでいる、国内外で車の販売後のアフターサービスは、情報が玉石混交で入ってくる。それをスクリーニングして、玉を見分けて有事と判断したら、トップへの速報体制が必要である。会社が違ってもそれを乗り越える仕組みが必要である。工販合併前は、自販サービス部で販売店から情報収集、そこで取捨選択して自工の品質保証部に連絡していた、玉の情報が遅くて対策が後手に回ったこともある。海外の販売会社で独立してリコールの権限もという報道もあったが、技術情報の蓄積も解析能力もないところでは難しい。むしろ車の安全、信頼性に関わる重要情報は一斉放送の仕組みをつくり、生のデータを共有し、事実を確かめ、解析する本社品質保証部の中央集中コントロールのリコール対応システムのほうが有事の危機管理には相応しいと思う。

 米国第7艦隊の話を聞いたことがある。旗艦は小さく見つかりにくい、レーダーで捕捉されにくい戦艦、攻撃を受けてもなかなか沈まないものらしい。旗艦の中は2重、3重のコンピュータ情報系、ペンタゴン、ホワイトハウスなどへのブロードキャストシステムになっていると聞いたことがある。危機管理は戦に学ぶところが多い、アフターサービス情報の危機管理システムはリコールの有事想定で構築されなければならないと思う。

8 有事の広報

 原価企画・管理、品質管理、かんばんなどはいままで積み上げてきたノウハウがあり、それなりに外部から評価もされている。しかし広報活動をみると、社内広報は優れて外部から表彰を受けているが、社外広報はどれほど評価されているのであろうか、ノウハウは蓄積されているのであろうか。渉外広報はすぐれて個人の資質に負うところが多い。車の宣伝・広告とは違う難しさはあるが、トップ含めて有事の危機管理の発想をもち、的確に対応して欲しい。

 根本さんは、管理者は上になればなるほど、自部門の管理は部下に任せ、他部門との連携を心がけろと言われていた。部間の連携に課長は3割、部長は頭の半分を使えと言われていた。トップ以下役員は外部特に海外に眼を開き、有事の渉外広報に万全を期して欲しいと思う。今回のリコール騒動、半年前に情報が上がっていたものもある、どうして初期対応が迅速にできなかったか、門外漢には解せない。

 十数年前会社で不祥事があった。私はQC屋でもあった、事実を解明し再発防止するためには公表したほうがよいと具申したが、「経団連会長会社の子会社で不祥事を起こしたのは言い訳できない、お客様の信用にもかかわる」と公表はしないことになった。すまじきものは宮仕え、それはいたしかたないとしても不祥事が発覚したとき、発覚していないときのマスコミ対応マニュアルが出来上がった。発覚していないときは「聞いておりません」、発覚後は「いま調査中」と応えることになっていた。週刊誌記者が嗅ぎつけ東京広報部に行ったら、担当者はあっさり「いま調査中」と言ったらしい。週刊紙記者は意気揚々私のところにすっ飛んできた。私はバレているとは知らない、記者がメーカーの広報に行ったとも知らない、記者が来たぞの電話もない。どうもおかしいと思ったがマニュアルとおりに「聞いていません」とこたえた。記者は誇らしげに「メーカーでは不祥事が起こって現在調査中」と言ったぞ。

 マニュアルは規準である、臨機応変に対応できないものかとの話もあったが、親会社と子会社の連係プレイができていなかった、1本の電話すらなかったのが原因である。翌々日だったか週刊誌に「子会社の不祥事」が報道された。

 それを見て驚いたとリタイアーした社長から電話があった。縷々説明したら「メーカーも大きくなったなあ」と嘆息の言葉。続いて「販売店の社長の秘書が飛び降り自殺した。週刊誌の片隅の短い記事であったが、メーカーの社長とも取れるような記事であった。譴責の話もあるらしい。広報部はピリピリしている」と教えてくれた。続いて「君が知りませんと言おうと、現在調査中と言おうと、雑誌記者はストーリーを頭に描き、ダメ押しで取材に来ている。記者の顔を見て臨機応変だと、それは難しいな、あまり気にするな」と慰めてくれた。しかし危機管理対応の難しさは身をもって体験した。

 自働化、電子化とか省力化の時代だが、広報は最後まで人対人の世界、難しいことは良く分かる、身につまされる思いがした。

エピローグ 

 半世紀前給料は金融機関、サービス業に比べて安かった。会社は儲けているのにもう少し上げてくれても良いのではと思った。そのとき幸之助さんの話が出た、企業は社会の公器である、税金を納めて一人前。貿易自由化、資本自由化を前にして会社は体力をつけて米国ビッグスリーに追いつくのだ、国に税金を納めるのだ、妙に納得した覚えがある。

 いまや日本の法人税は世界一高い、消費税は世界一安い。国の借金は対GNP比でみれば先進国中最悪である、孫子に膨大な借金を残している。リコールで100億の費用がかかったとしたらその分利益は減るが、税金は約半分であるから50億の金が国に入らないことになる。50億あれば保育施設ほか少子高齢化対策もすこしは進むであろう。

生命の安全、安心にかかわるもの、車両の火災など車の安全に関わるものなどは即刻リコールしなければならない。しかし点検とか車検のとき、あるいは自主改修で済むものまでリコールする必要はない。無駄な部品交換は廃棄物を増やすだけ、環境問題にもつながる。叩かれたからリコールすることはないと思うが、無駄なリコールはやめて利益をあげるのでなく税金を納める意識をさらに喚起すべきと思う。

米国発の事例は枚挙に遑がない。日本はノーモアヒロシマだが、原爆投下機のエノラゲイはスミソニアン博物館の展示は在郷軍人の強い反対で半世紀経過しても拒否されている。半世紀前に日本車を太平洋に追い落とせと言う国柄、大統領がビッグスリーの社長を連れて来日しアメ車を買えと言う国。労組委員長が米国で国産化を要請に来る国。左ハンドルのGMのキャバリエをせめてレンタカーでも使えと輸入をせまる国。言い出したらきりがないが、米国は自動車では先進国でもあった。ラルフネーダーなど消費者問題、リコールの先進国でもあることは十二分に知悉していたはず。それにしては米国発の今回のリコールの初動対応は誠にお粗末であったといわざるをえない。 未曾有のリコール騒動を契機に社内を総点検し、再発防止体制を構築することを願ってやまない。

唐突だが浄土真宗の親鸞聖人は、愚禿親鸞と称した。愚か者である自覚が、常陸の20年間の布教で「教行信証」とか数々の「和讃」を産み、さらに親鸞面授の高弟が数多く育った。浄土宗の法然聖人も愚か者の自覚があった。階級が上がっても愚か者の自覚が必要である。日本の諺にも言う「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

海外生産の急拡大が原因とかリコール騒動はマスコミの格好のネタになった。それはそれとして反省すべき点は改め、品質第一で築き上げてきたトヨタの伝統と風土は、いささかも屋台骨は揺るがないと信じたい。

冒頭にも紹介したが、40年前のリコールのとき、英二社長は全社員によびかけた。

「創業以来、@お客様第一Aよい品よい考えで日夜努力してきた。しかし車は今や大衆の足として、いろいろな人に、いろいろな環境のもとに使われている。さらに安全な車、完全な車を目指さねばならない。今回のリコール問題を貴重な教訓として一人一人が真剣に考えて欲しい」

リコール騒動で章男社長は「急成長でひずみが出ている」それはそうかもしれない。今回のリコールを跳躍台として、世界ではまだまだ自分たちの手で車を造りたい国がたくさんある、品質第一で国産化の夢のお手伝いをして欲しい、急がず焦らず。

諺にも言う「Slow and Steady wins the Race

後期高齢者入りを目前とした一介のOBが、岡目八目で何を寝ぼけたことを言うのかとご叱正を賜るのを覚悟で書いた、ご寛恕いただきたい。

リコール騒動が一段落したかにみえる 314日   柴浦 雅爾

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