台湾紀行


 

   多魯閣 渓谷
 

 高齢者中心のツアーがあるとは知らなかった。普通のツアーはゆったり度が1。スケジュールを楽に調整したのが2。障害者でも行けるように配慮したのがゆったり度3。ホテルは連泊である。朝は遅い、早くホテルに帰るなどは良いとしても見物の名所旧跡は少ない。海外旅行は諦めたが行けるだけましと考えて参加することにした。ゆったり度3は数コースあるが過去に行ったところが多い。台湾は敬遠してきたが何とか行けそうである。西新橋の台湾観光局でも調べ、地図ほか資料をたんまり貰ってきた。

 ツアーの名前が仰々しい、「歩かなくても楽しめる麗しの島・台湾太魯閣溪谷と台北」。高雄には行かないが、台湾を俯瞰するには良い。パンフレットには台湾新幹線と書いてあるが、それは間違いである。台湾の東側は在来線を改良して早くしたもの。パンフレットの企画担当者が添乗員でもある、それとなく言ったら今までクレームを言った人はいなかったとか。

 最少催行人員は15名だが11名でも催行になった。人数が少ないほうがゆったりしている、まとまりも良いでしょう。旅行社の儲けは少ない、赤字かもしれないが。

 3月12日が初日。娘婿に横浜から羽田まで送ってもらった。羽田国際線に乗るのは初めて、立派な旅客ターミナルであるのに驚く。1015集合、1215エバー航空は台北向けて飛び立つ。妻が杖をついている、エコノミーの最初に搭乗できるよう配慮してくれた。飛行機入口に新聞がある。日本語は産経新聞だけ、台北に支局があるのは産経一社。朝日、読売など支局はない、中国に気を遣い国交のない台湾には支局を置けないとか?

3時間45分で松山空港に到着。空港から台北駅にマイクロバスで移動、荷物は別便で花蓮ホテルに移送。台北から花蓮まで台湾国鉄特急で移動、2時間20分正確である。この列車のトイレに日本車両の名前が書いてあり、車両は日本製であることが分かった。在来線特急「太魯閣号」はJR九州の特急をベースに開発したもの。

当初はローカル飛行機で台北から花蓮に飛ぶ予定だったが、飛行機事故があり列車に急遽変更になった。夜の列車、暗くて景色は見えない、2030分花蓮ホテル到着。それからホテルで夕食、腹は減ったね。

連泊するホテルの室内は広く良いホテルである。早朝に電気がきれた、停電かと思ったがロビーに出て他室を見たら電気がついている。フロントに電話したらすぐに男の人がやってきた。ガチャガチャやっていたがダメ、また別人が来てこれは部屋のアダプターが故障している、部品取り寄せに時間がかかるとのこと。別の部屋に移動してもらえないか。添乗員も慌ててやってきて善後策を話し合う。スーツケースは開けっぴろげ、部屋の移動は止めて夜までに修理してもらうようにした。築10年余の新しいホテルだが、電器製品が故障するなら部品の予備でも持っていたらと思う。大事なお客さん?らしい、添乗員に化粧品セットを二つフロントが渡してくれた。普通はホテルでお客に出さないと思うが、部屋の停電で誠意を示したのかな。

    

      圓山飯店ホテル
 

二日目

多魯閣溪谷見物に出かける。ツアー人数が少ないからマイクロバスで十分ゆとりがある。花蓮市の南西20キロ、国家公園入口に到着。ここから台中へは200キロ、東西横貫公路が完成したのは1960年、4年の歳月がかかっている。司馬遼太郎が李登輝夫妻から渓谷見物に案内されたが、司馬は断り草臥れたのかホテルで読書三昧であった。溪谷は素晴らしい。大理石が山肌、谷にふんだんに露出している。それは確かに珍しい、しかも20キロも続いている。司馬が行きたくなかったのも分からないではない。司馬は人間と人間の関わり合いに興味を抱く、自然の景観だけでは作家の創造心は膨らまなかった。

大理石の工房を見学した。大理石が翡翠に変わる模様が面白かった。それに魅せられて花蓮に住まう大和撫子の説明は簡潔であった。高価な翡翠には関心がなかったので、中国で地域により色が異なるとは知らなかった。長江は緑、黄河は茶、北方は白とのこと。

アミ族のショウを見た。原住民としてはアミ族の人口が一番多い。過去には征服族と諍いが何回もあった。女系社会をいまも続けているのは珍しい。ショウは素朴な踊りである、ビデオに撮ったが盆踊りより速度感がある。最後に観光客を呼び入れ共に踊るが、参加する人は少なかった。

花蓮吉安卿にある慶修院を訪れた。戦前に国の募集に応じて四国の吉野村から開拓団として入台した人の信仰の拠り所が真言宗の布教所であった。開拓団が引揚げても観光スポットとしていま脚光を浴びている。

ホテルの夕食前に自己紹介の時間が設けられた。後期高齢者主体である、話は人それぞれ、3夫婦あとは単身の人。一番驚いたのは癌の経過観察中の御婦人。夫を看取った後癌になり手術は拒否、抗癌剤も止め、痛み止め中心で生活。朗らかで皆と興じていた。普通はツアーには行かないが参加したとのこと、感心した。腰を痛めているご婦人、一眼レフを持っている、聞けば写真の個展を開いているとのこと、旦那が杖代わりである。主人が亡くなってから海外旅行というご婦人がいるが、その反対はない。女性の寿命が長いことよりも男性のほうが一人で生きる気迫に悖ることが多いのでは。

 
 

三日目

花蓮駅から台北駅まで移動。2時間窓外の景色を愉しむ。海と山の連続、日本の風景と似たところもある。それほど違和感はない。

高層ビルで有名な台北101に行く。土曜日ということもあるかもしれないが混雑している。ゆったり度3の旅ではあるが、待ち時間は結構草臥れる。歩く時間を少ない設計は良いが待ち時間を減らしてほしいと思う。

508mは世界3位の高さ、展望台は89階382m。やや霞んでいる、360度の眺めは一見の価値はある。高層ビルがないから台北全体が眺められる。市内に緑が少ない、公園が小さく少ないのかもしれない。

忠烈祠は長細い敷地、そこで衛兵交代がある。普通は短いがここは長い、5人の兵士は30分毎にご苦労さんなこと。しかも歩く間、瞬きもしない、目には悪いよ。

今日のホテルは圓山大飯店、凄いホテル。その昔台湾神社があったところに蒋介石が建てた。何でも襲われたとき地下道があり脱出ができるとか。金門島は台湾支配下であり、ここは地下道が整備されていた、それを真似たみたい。ジムとかプールがあり無料で利用できるという話だったが、別の建物である、行きそびれた。凄い室内、トイレもウォシュレットがついている。TVで日本語放送も視聴可能で見ていたらおかしくなった。フロントに電話したらすぐに来てくれた。内蔵ソフトの不具合があるしい、簡単に直った。

   
   
 

四日目

故宮博物院に行く。翠玉白菜や肉形石など著名なものを鑑賞し、陶磁器、書画などを観る。70万点もある膨大な展示品を2時間では無理、日本語の解説書を買った。入場制限しているため、待ち時間が長い。予め見るものを決めて効率的に観るほうが良いが、ツアーでは難しい。それにしても北京と南京の皇帝収蔵品を台湾まで運搬した、書など保存が大変と思うがよくも管理したもの。今後とも見学者は増加の一途でしょう。

午後は猫空に行く。茶館で鉄観音とかいうお茶、高山鳥龍を試飲するがそれほど旨いとは思わなかった。茶器が常滑焼きと同じ色形であった。これは好き好きでしょう。お茶の商品を買った人もいる。ロープウェイで空中散歩、4kmを25分とか。しかし日曜日でもある、物凄い人に驚く。待ち時間で皆草臥れた顔をしている。ゆったり度3も良いが待ち時間が長すぎる、日曜日を頭に入れてプラン作りが必要である。お茶の試飲など早めに切り上げるとか。ロープウェイからの眺めは曇天ではあるが最高である。1台のロープウェイに6人が乗る。乗る場所によっては写真が撮れない、撮りにくい。幸いビデオもカメラも撮れたのはラッキーである。

    
    
 

五日目

台湾の北部にレトロな平渓線がある。十分という町の真ん中を通っている。電車が走らないとき線路から大きなランタン(天燈)に願い事を書いて火をともし空に飛ばす。火事にならないか心配、地上に落ちた時にはゴミになる。正月には町で数十のランタンを夜空に飛ばすらしい。山里であるから心配しないとのこと。皆が何を書いて願うのか、健康長寿が一番多い。

昼から龍山寺による。お参りと観光の人でごった返している。観音菩薩ほか道教の神様も祀られている。多神教でいろいろなことを願っている。仏教と道教が調和している。難しいことは別にして商売、学問、安産、縁結びなどなど御利益があるようにとお参りする。日本の神社とお寺が一緒になったようなもの、心の平安が保てるなら良いでしょう。

大きな土産物屋に寄る。何でもあるが高価である。紹興酒など年代物もある。皆が買うものはパイナップルケーキとか土産で配れるものが多い。

夕食後台北アイで京劇を見る。幕間で化粧の実演とかお客と一緒になろうとする演出がある。アクロバットもありそれなりに楽しめる。以前北京で見た京劇とは全然違う、それは致し方ないかもしれない。

    
      
 

六日目

漢方、乾物などの問屋街を見物する。日本のアメ横みたいなところ。豚一匹がぶら下がっている、その部位を示して買っているおばさんがいたには驚いた。フカヒレなどは安い、日本語で書いたレシピもある。

昼食後松山空港に向かう。20時に羽田着。羽田の駐車場で緩和療法をしているご婦人と迎えの娘さんが別れの時にちぎれんばかりに手を振っているのが印象的であった。一期一会今回の旅行は最終幕まで感激の連続であった。

 

台湾に行くのでいろいろ調べた。知らないことが多かった。台湾から日本に来る人の半分しか日本人は台湾に行っていない。海外留学生でみると日本人は中国、米国、英国の次が台湾で4番目である。海外から日本への留学生は中国、ベトナム、韓国、ネパールの次が台湾で5番目である。韓国と台湾はよく比較されるが、日本人の韓国留学は9番目である。昨年の訪日観光客で見ると旅客数は台湾と韓国は同じくらいだが、対前年伸び率は韓国が12%に対して台湾は28%、一人あたり支出は韓国より台湾の方が多い、しかも伸び率は11.9%、韓国は−5.8%である。

戦後70年経っても台湾の高校歴史教科書で、日本統治について「日拠(日本占拠)」と「日治(日本統治)」と論争がある。国民党政府が赤狩りで10年間に100件の反乱グループ摘発、2000人の処刑、8000人の懲役刑。本当の共産党員は900人で残り9000人は冤罪とのこと。詳しくは「台湾現代史 何義麟」を参照されたい。

台湾料理は知らなかったが、6日間食べて日本人の口に合う。中国料理より淡白であるが美味しかった。朝、昼、晩と食べ過ぎた、最後にはお腹をこわした。海外旅行で腹がおかしくなったのは初めてである。傘寿を迎える爺さんは気をつけなくてはねと自戒する。

 

    
    

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