ブコビナ修道院


 

       10 ブコビナ地方の5つの修道院巡り

 朝新しいバスがホテル前に駐車している。雨漏れで昨晩添乗員、ガイドが折衝した、バス会社が手配してブカレストから夜中に走ってきたらしい。8時45分ホテル出発、生憎小雨だが本ツア目玉の5つの修道院巡りに出かける。

  アルボーレ修道院

 こじんまりした修道院である。建てたのは15世紀末ポーランド軍の襲撃をスチャバ要塞が守り抜いたときの大将で、スチャバ市長であるアルボレである。1503年に4か月で完成したとは信じられない、財力もあったのでしょう。建物の中にアルボレ大将夫妻を描いた画と墓があるのが印象的であった。外壁は宗教画と歴史画があるが残念ながらかなり風化している。西側と南側がそれでもフレスコ画らしく残っている。

   スチェヴィツア修道院

 この修道院は広くて新しいため世界遺産から外された。100m四方の外壁の中に教会堂が建っている。15821584年建造。外壁は高さ6m、厚さ3mの城壁で四方に見張塔がある。

教会堂の外と中のフレスコ画の保存状態は良好である。数千点の画像に驚く。北壁の「貞操の梯子」は大きな画面、階段で天国に導かれるものと階段から地獄に落とされるものが書いてある。悪魔がトルコ人の服装をしているのは宿敵を意味しているのか面白い。南壁には「イエスの木」と新旧約聖書の画面が書いてある。

修道院内に信徒が集まる祭(修道院パンフレットから転載)を見ると全村の人々が思い思いの格好で参加しているのが分かる。

今でも尼僧院として使われている。ソ連共産主義時代でも修道女は許されて住んでいた。

   モルドヴィツア修道院

 標高1000mの村にひっそり佇んでいる。1年の半分は雪に埋もれ今でも馬橇が活躍しているとか。15世紀に修道院は建てられたが大雨で地滑りが起こり建物は崩壊した。その跡にシュテファン大公の私生児が1532年再建した。四方から教会堂を囲む城壁の高さは6m、厚さ1.2m、見張塔も何ヶ所かついている。教会堂南面壁にはコンスタンティノーブル包囲の画面が描かれている。ペルシア人がイスタンブールを攻略したのは800年前のこと、数十年前のトルコの戦いを描かずに昔の大勝利を描いているのが面白い。

 教会内の祭壇にはほかの修道院と同じく「最後の晩餐」「聖母の祈り」などがあった。いずれも色鮮やかで表情が豊かであった。

 修道院内には2階建ての博物館があり、ロシア女帝エカテリーナに関連したものがあったのには驚いた。

   ヴォロネッツ修道院

 5つの修道院の中では一番南、グラ・フモルルイ町の南から8qのヴォロネッツ村にある。

大型バスが何台も駐車できる広い駐車場から歩く。修道院の壁の中に教会堂の尖塔がみえる。ここはシュテファン大公がトルコとの戦いに勝ったら尼僧院を創ると誓った第一号の僧院で1488年創建。300年は僧院で、200年は異国に封鎖され、チャウシェスク政権が倒れてから再開され今は修道女がいる。

 西側壁面に「最後の審判」がある、保存状態は良い。三位一体、聖職者のほかに珍しく象などの陸の動物、魚など海の生き物が描かれている。

 南側壁面のフレスコ画は大きい、横25m、縦7mもある。「キリストの木」など連作が描かれている、100人も登場しているとか。

 教会堂内部の壁画も一面宗教画、シュテファン大公一族の画もある。

   フモール修道院

 グラ・フモルルイの北7qの山麓にある。14世紀初頭からあった修道院跡に1530年に建立された。領主の部下の貴族が建てた。250年活動したが、18世紀廃院となった。チャウシェスク政権後尼僧院として活動するようになった。この修道院は石の塁壁と木製の柵が回らされているのが特徴である。

 フレスコ画が描かれたのは1535年で作者はモルドヴィツァ修道院と同じ画家である。最後の審判」で地獄の悪魔が7人の老売春婦として描かれ、地獄の悪魔が欠員となったらこの世から候補者を探して引きずり落とされると当時は信じられていた。「コンスタンティノーブルの包囲」とか「聖母賛美歌」なども他修道院と同じで憎きトルコを描いていることに変わりはない。

 中の拝廊には領主と妻、建立者と妻が埋葬されている。この修道院は何回も修復が行われているのが特徴で珍しい。

 雨に降られても何とか5つの修道院めぐりは終えた。今後観光客は増えるでしょう、僧院の整備と分かりやすいパンフレットがあるのが望ましい。

     フォルクローレ

 ホテルの夕食後、ルーマニアのフォルクローレが食堂で催された。民族舞踊はどの国にもあるがルーマニアは地域蜜着の踊りが伝承されている。モルドヴァ地方は16世紀に黄金時代を迎えたモルドヴァ公国の踊りの伝統とハンガリーほかラテン系の踊りと音楽の複合体である。音楽は早いと感じたら遅くなる、そのくり返し、踊りは足を地につけて引き抜く。男性は足を叩く踊りが面白い。女性が斜めになって回転するのは初めて見た。ビデオを撮っていても飽きなかった。腰を捻るような動きは少ない、上下動が主体なのが珍しい。ジルバのような踊りもあるが早いこと早いこと。若いとき社交ダンスを習ったが、こんな早い動きはひとつもなかった、若くてもとてもルーマニアフォルクローレは踊れないでしょう。フィナーレはツアーの人を交えて輪になり踊る、男性は添乗員を除いてシャイで参加しない、女性陣は何人か面白おかしく愉快に踊っていた。

ルーマニア人は踊り大好き人間で世界民族舞踊祭では何回も優勝している。しかし最近は田舎の村々でも伝承が難しくなっているらしい。

 

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