人 生 百 年 ー 杉 浦 幹 雄 の Q O L- |
浄土ヶ浜 | よ う こ そ ホ ー ム 頁 へ | 夕陽のかなた | ||||
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母親は40歳で子宮癌、父親は74歳で胃癌。母親のいとこも癌でかなり死亡。癌の家系で長生きはできないと思っていたが、 幸いにも83歳まで生き永らえている。 兄弟5人、72~83歳は全員今のところ健康である。されど老いは確実に忍び寄ってきた。 何時頃からか、「人生百年」と言われだした。平均寿命を超えた、お迎えが近い。浄土に身罷りたいが何時か予測できない。 同期入社の四割は死亡した、三割は病気を抱えている。残りは元気とはいえ、介護ほかの問題を抱えている。 来し方行く末を見ながら徒然なるままに、我が生きざまを描いておきたい。 |
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ト ッ プ 頁 作 品 目 録 趣 味 健 康 運 動 米寿に向かう |
私 は 三 河 人 | 「 ト ッ プ 頁 」 の 主 な 内 容 | ||
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1935年 名古屋市生まれ 1942年 名古屋市立旗谷国民学校入学 1944年 碧海郡桜井村国民学校転校 1945年 碧海郡安城町大岡小学校転校 1948年 愛知青年師範附属中学入学 1951年 県立安城高等学校入学 1952年 県立西尾高等学校転校 1954年 名古屋大学経済学部入学 1958年 トヨタ自動車工業入社 1981年 トヨタ自動車販売出向 1987年 トヨタレンタリース東京出向 転校 3回 引越 10回 44年間 三河在住 30年間 横浜在住 |
〇 「作品目録」 今までの作品の目次。 体験記 紀行文 論考 考証 著作紹介 何故書いたのか? それは65歳の時前立腺癌を宣告されて、即手術をお願いしたものの 医学的知識はゼロ。インターネットで調べたら、手術体験記が6件あった。 成功すれば余命は長いことが分かり元気を貰った。 私の体験記も役立つかなと詳細な体験記をネットに載せた。 日経テレビ局の女性ディレクターの目に留まり、「前立腺癌手術」の取材を受け放映された。 大学同期だけでなく、会社の先輩・後輩などが見ていて、改めてテレビの威力を思い知った。 天皇陛下の前立腺癌手術の時は、体験記のカウンターは月に300を超えた。 雑誌の取材も受けて記事になり、本まで上梓された。 それ以降、読者は少ないと思うものの作品を書き溜め「杉浦幹雄の作品目録」として掲げた。 なお前立腺癌手術の体験記は日進月歩の医学の進歩で陳腐化したので削除した。 〇 「趣味」 ドライブ歴は古い。初任給13800円で車が持てるとは思わなかったが高度成長のおかげで 6年後にパブリカを購入してから日本各地をドライブした。 海外旅行も50歳を過ぎてから世界各地を年1回ツアーで見て周った。 囲碁はリタイアー後友人に薦められて同好会に入ったが、実力は伴わない、万年初段である。 〇 「健康」 既往症 食事 健康診断値 薬 〇 「運動」 テレビ体操30年 早朝ウオーキング20年 ジム通い10年 〇 「米寿に向かうー人生私流ー」 「喜寿を生きる」 「傘寿に向かう」の続編。 岡目八目のショート随筆 |
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宗 旨 浄土真宗大谷派 法名 釈慧幹 |
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著 書 「試練のかなたートヨタ回想録ー」 「真宗は一日にして成らず -親鸞と覚如・存覚ー」 「九段のあぶく」 「トヨタ・グローバル10 -三河から世界へー」 |