リ ラ の 僧 院


 

3 ソフィア〜リラの僧院〜ヒサール

 8時半出発、ソフィアの南65kmのリラ山脈にあるリラの僧院に向かう。時々小雨が降る涼しい日。長袖にレインコートの人もいれば、半袖のシャツの人もいる。傘は持っていても差さない人もいる。オールドシニアとはいえ耐寒能力には著しい差があると思った。

 途中コウノトリの巣くう村で一時休憩、何匹か見たが羽が汚れている。ガイドにスペインで見たコウノトリはもう少し白かったと言ったら、雨が降らないから少しは汚れているかもとの答え。ブルガリアのプロヴディフは北京に次いで環境汚染がひどいという日経ベリタスのデータを話したら、確かに排気ガスは年々悪化している。車の問題とガソリンの精製の問題がダブルパンチで利いているかもしれないと顔を曇らせた。

 2時間半で僧院に到着、小雨が降っていた。ブルガリア聖教の総本山、トルコとソ連の圧政に堪えて今日の華麗な姿がある。しかし建物は1833年の火災でフレリョの塔だけ残して全焼した。民族の威信をかけて復旧し、150年後ユネスコ世界遺産に登録された。

 このようなでかいフレスコ画は初めて見た、外壁にも描かれている。旧約聖書のモチーフが散りばめられている。これを崇めたら敬虔な信者になるかもしれない。カトリックではマリア他の絵画と彫刻があり立体的であるが、聖教ではイコン(聖画)で飾られた平面的なものである。主祭壇をイコノスタシスと呼び、教会内の奥の聖域に鎮座している。信者の祈る場所とは区切られているのが興味深い。

 それにしても10世紀の昔、山深いところに僧院を立て、周りを擁壁で囲い自衛できるようにしたのは、時の王様の庇護があったにしても凄いと思う。山中に佇む僧院の衛星写真を見ると感慨深いものがある。

 山を下りてヒサールまでバスはひた走る。5時間は長いが農業国であることはよく分かる。それにしてもところどころに草茫々の農地がある。ガイド曰く、ソ連の農地取り上げで、解放後土地の所有者が分からない、または都会へ、中には海外へ行った人もいるから農耕放棄地になっているとのこと。戦後処理が遅れ今も残滓で残っているとは信じられなかった。

 
       
      リラの僧院内中庭     聖母誕生教会  横側     聖母誕生教会 正面
       
      左側 焼け残ったフレリョの塔      僧院正面入り口のフレスコ画     僧院正面横のフレスコ画

                                                                                                        次へ