親鸞実像研究に想う 本文へジャンプ

 最近聖徳太子、織田信長など偉人がその存在価値を疑われるような研究が発表されたりしている。親鸞も出自が不明など伝記には問題点が数多くあった。しかし750回忌向けに親鸞伝はかなり調査が進んだことは喜ばしい。それでも積み残された問題は多い、800回忌向けさらに新親鸞像が確立されることを望みたい。

 親鸞に魅了された小生が諸賢の研究に想うことをまとめておきたい。

 1      親鸞の母親
 親鸞といえば「歎異抄」、猫も杓子も作品を書いている。しかし親鸞の畢生の名作「教行信証」は難しい、取り組む人は少ない。梅原猛先生は教行信証の中の阿闍世父親殺しの引用が異常である。ひょっとしたら親鸞の祖先は父親殺しに関係しているのではないかと推測された。西山深草先生は「親鸞は源頼朝の甥」を実証された。親鸞は義朝の父親殺し、頼朝の義経殺しなどで人を殺しても極楽往生できるかが主上命題であったのかもしれない。それにしても何故母親の身分を隠さなければならなかったのか。

 

2 親鸞の妻
 1人、2人、3人説ある。恵信尼1人説、これは玉日と恵心が同一人物としている。京都時代は玉日姫、越後流罪後は恵心尼とするのが2人説。2人説でも親鸞と恵信尼との結婚を京都とする、越後にするので説は分かれる。3人説は京都では玉日姫、流罪後越後の娘、その後が恵信尼としている。

 3 親鸞の子息
 諸説あるが西山先生は京都時代の先妻は九条兼実女の玉日であり、子息は範意壬生の女房、善鸞の3人とする。越後時代の後妻は三善為則女で八田知家養女の恵信尼である。子息は信蓮、道性、小黒女房、覚信尼の4人としている。恵信尼は玉日姫に仕えていた、親鸞流罪につきそい恵信尼も越後へ、玉日死亡後の喪が明けてから親鸞と結婚したとする。
 今井雅晴先生は恵信尼の出自は京都の中級貴族出身、親鸞より先に法然
の弟子になった、親鸞と京都で結婚したとする。

 3人説では京都の玉日姫の子息は範意と壬生の女房。姫が死亡後恵信尼は範意と壬生の女房を日野家と壬生家に預けてから越後に下る。越後では土地の豪族の娘との間に善鸞が生まれていた。恵信尼は継母と言われないよう我が子として育てた。やがて恵信尼も信蓮、道性、小黒の女房、覚信尼を生み育てた。

 4 親鸞の帰洛
 覚如の「親鸞伝絵」では、赦免後常陸に向かったとする。良空の「高田
正統伝」と存覚
の「正明伝」では京都に一旦帰洛し二ヶ月過ごしたとしている。存覚伝の「正明伝」は明らかに偽作と言う人もいる。

法然上人の墓参り、先妻玉日姫の墓参りに赦免後親鸞は帰洛したとするのが人情ではないか。覚如は何故書かなかったのか、善鸞も無視している。覚如に2回も義絶された存覚は覚如の「伝絵」を読んで、事実を後世に正直に伝える資料を書いたと思う。

 5 親鸞の帰京
 親鸞が京都に帰るとき恵信尼も同行したと言う説、恵心は笠間に残ったとする説、いや越後に帰ったとする説がある。親鸞は覚信尼を連れて京都へ、恵心は越後に子供がいる、土地も耕す下人もいる、越後に帰ったと考えるのが素直である。

 越後の「惠心の里記念館」を見学して平仮名の無量寿経など見た。達筆である、当て字が多い、親鸞が見たら訂正したのではと思う。何時頃書いたのかな。恵信尼文書の現物が見たかった。真筆はどのような紙に書かれているのか、表装は何時されたのかなどなど。年代物であるのに倉庫によくも眠っていたもの。覚如も存覚も見ていたと思うのだが。
 「歎異抄」は禁書であるが明治時代清沢満之が世に出した。恵信尼文書は親鸞が実在しない人と言われて、大正時代に本願寺が提供した。今や恵信尼文書は特級資料としてダイヤモンド並み。恵信尼が娘に宛てた文があるのになぜ親鸞宛の文がないのも不思議である。

 
 西山先生の「親鸞は源頼朝の甥 親鸞先妻・玉日実在説」を読んで吃驚した。浄土宗の住職が21名の研究者とプロジェクトを組み、その成果発表である。本のおわりに書いてある、「念仏教団が大同団結できないにしても、少なくとも、和して同ぜずということができないならば、いわゆるグローバル化時代において遅れをとるおそれがありはしないか」その通り、卓見である。

日本の経済は一流であるが、政治は三流とも言われる、果たして仏教関係者は何流であろうか。因循姑息でなくオープンでフェアー、世界で評価される活動を期待したい。他教団に親鸞関係の資料があるのではないか、発掘が期待される。聖覚とか隆寛など兄弟子について調べれば新たな親鸞像が出てくると思われる。
 長野の善光寺は2回も焼けているが、親鸞関係の資料はないのかな。

越後で佇めば、恵信尼が京都の貴族の娘とは信じられない。豪族の娘で京都に上り宮仕えの可能性はなかったのか。土地勘がない越後で晩年を子息とともに過ごした、下人に逃げられ四苦八苦している。荘園制が有名無実になり貴族が没落、豪族が賄賂で仕官し貴族の末席に繋がることもあった。恵信尼の家系の調査がさらに進むことを願ってやまない。

   

小生は大谷門徒のはしくれである。東西本願寺、および浄土真宗関係者、大学関係者と宗教関係学者はこれを読んで如何様に思うのだろうか。小生が当事者なら切歯扼腕したであろう。この書が出て小生の物語小説「真宗は一日にしてならず−親鸞と覚如・存覚−」も一部書き改めねばない、感謝に堪えない。